ココロセラピストが語る!『見えないストレス』とは?~原因追究の罠~

心身の不具合の原因は確かに何処かにあるのかもしれません。 しかし、それは日々の小さなストレスの積み重ねである場合もあるのです。

人間は自己肯定感が下がると、生きる気力がどんどん低下して行きます。
自己嫌悪に陥ったり、悲観的になったり、あるいは攻撃的になったり。悪循環に陥ります。

原因不明でストレスがたまってしまう気持ちもわかるし、原因がわからないでストレスをぶちまけてくる人に対して原因追究したくなってしまう人の気持ちもわかります。どちらもとても、辛く、そして悲しいです。

ただ、当事者にも周囲の人にも理解して欲しい事があります。
適当に『ウツ』疑惑をかけて完結しない事。原因追究をしないこと。

もっとも、本当にうつ病なら、その方向で専門家にケアを受けた方が良いと思いますが疑惑の段階で変な目で自他を見ると逆効果ですので気をつけて下さい。

原因追求と言うのは、たとえば小さな子供をイメージして下さい。
「どうしてキミは、おかたづけができないの?」という言い方を考えてみましょう。
これは暗に「おかたづけをしなさい!」という命令的意味合いが込められています。
そうすると受け手は「威張られた(or脅された)」と解釈して不機嫌になります。

そして、文字通り「どうして○○できないの?」という言葉も、潜在意識に大きな影響を与えてしまいます。
これは出来ない事が前提条件として確定してしまっていて、その上で、その原因を答えるように仕向けられてしまうということが問題なのです。本来の意味合いなら「できるよね?」というメッセージもこめられていると思うのですが、頭ごなしに叱られたり、怒鳴りつけられたり、しつこく聞かれたら、それこそストレスになってネガティヴになってしまいます。

そうすることで「できる」可能性が消されてしまい、しかも「本当はできないわけではない」という可能性も消されてしまうので、「じゃあ……私は何故、おかたづけが出来ないんだろう……?」と自分でもわけがわからなくなってしまうのです。
もちろん、これは例え話で絶対にそうなるというわけではありません。

トラウマに関しても焦りは禁物です。
ストレスの原因をトラウマだと思い込んで、しかも、そのトラウマはドラマチックに違いないという色眼鏡で見ていると、とんでもないことになります。

「きっとこの理解不能な状況には抑圧された深い原因(トラウマ)があるに違いない……」なんて、思ってしまう人は案外多い気がします。

たとえば幼少期に親に虐待を受けたとか、学校でリンチにあったとか、会社でミスの責任を押し付けられたとか、伴侶に浮気されたとか……。そういう『心の傷』があると、「じゃあ、具合が悪くても仕方無いよね」的な展開になると、心のどこかで思っているのかもしれません。

でも、考えてみて下さい。
トラウマというのは、そもそも自覚出来ていないからトラウマなのであって、自覚出来ているのであればトラウマではなく過去の記憶、もしくは解決すべき具体的課題です。
同じストレスではあっても、「ストレス=トラウマ」ではないのです。

心身の不具合の原因は確かに何処かにあるのかもしれません。
しかし、それは日々の小さなストレスの積み重ねである場合もあるのです。
僕たちは何処かで大きなドラマ性を求めてしまいがちですが、地味で小さな問題だって決して軽視してはならないのです。

心の問題ではありませんが、小さな棘を想像してみて下さい。
それが手に刺さって取れなかったらどうでしょう。気になって仕方ありませんよね。
チクチクした痛みが大きなストレスになりますよね。
別にナイフで刺されたわけでもなんでもなく、ドラマチックな展開でもなんでもないけれど、影響力は計り知れないですよね。
つまり、ストレスの原因そのものにドラマ性は関係無いのです。

「どうして、そんなに凹んでいるの?」と繰り返し質問してしまうと、相手は「原因がわからない私は理解して貰えない、責められるしかないのかも……もしかしてそんな私はダメ人間なのかも……」という方向に進んでしまう危険性があります。
人は罰する時や攻撃する時以外は、必要以上に追い詰めるのは控えた方が良いです。

 

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