ココロセラピストが語る!『ガツガツ社会』とは?~のんびり生きようよ~

「豊かさ」ってなんだろう。 まずは、この質問を世界に投げかけて一緒に考えようとする気持ちが大事なのではないかと思うのです。

世間は多忙が好き?

どうも世間は忙しいことを美学としているように感じます。
どうしてこんなにも、みんな多忙を愛して止まないのか考えてみました。

戦争中や戦後まもなくは、食べるものもなく、命からがら戦ったり逃げたり、忙しく、落ち着いてからも、国を復興させるために、みんながガムシャラに働きました。

戦争はもちろんダメなのですが、当時の人がガムシャラに生きていたことに関して否定的な事を言うつもりはありません。
だって、それは生きるためなのですから。

お蔭で国は豊かになり、僕たちはその恩恵のお蔭で、今の時代を比較的平和に暮らせていることは事実です。
それに関しては、先代、先々代の先人達が頑張ってくれたことに心から感謝しています。

でも、21世紀って、ある程度、生活用品も食べ物もたくさんありますし、そんなに慌ただしくしなくても良いのではないかと思うのです。

 

『ゆとり』大歓迎!

『ゆとり教育』が失敗したとか、思っている人がいますが、僕はそういう解釈はしていないのです。
だから、「やっぱり、ガツガツ、ガシガシ、モーレツ、絶え間なくアクティヴに!」みたいな方向に無理に意識のベクトルを向けなくても良いのかなって思います。

学校もなんだかんだで偏差値がモノを言いますし、出身大学の有名無名でその人の扱いも変わって来ます。

『ゆとり』がダメなのではなくて、そういう競争やラべリング、レッテル貼りを残したまま、『ゆとり幻想』だけを植えつけてしまったから、わけがわからなくなってしまったのではないかと思うのです。

物が無かった時代に頑張った世代がいて、みんなに物が行き届くようになって生活が豊かになってきたら、「そんなにガツガツしなくても良いかもね……」っていう気持ちになってきますよね。
実際、それで良いと思うのですよ。ガツガツしなくて。
無理に子供たちに競争原理を徹底して教え込まなくても、最低限教えれば良いと思うのです。

いくら人間が『動物』だからといって「動く物」と文字通りに解釈して、ずっとアクティヴにモチベーションを上げて動き続ける必要ってあるのかなと思うのです。

ちなみに、わけがわからなくなってしまったのは、『ゆとり世代』ではありません。
みんなです。
極論を言えば、20世紀末に大不況になってしまったから、わけがわからなくなってしまったのだと思います。

「不況になってしまったのは『ゆとり』とか言っているからだ!」なんて世のオジサンたちは口をとがらせていたと思います。
でも、違うと思うのです。

冷静になって考えればわかるのですが、好景気の後って不況になりますよね。
僕は経済には疎いですが、たぶん、そうじゃないかと思うのです。

一時的には「使い捨て」が流行って『消費社会』がカッコイイという感じになって、どんどん物は高級路線になって行きますが、それもある程度、進んで行くと、飽きて来るというかキリが無いことに気づくのですね。

これって『ゆとり』関係無いじゃないですか。
消費社会がストップしただけですから。
日本の場合、資本主義経済ですから、何はなくともお金は欲しいわけです。
僕だって当然、お金は大好きですし、あればあるだけ良いのでウェルカムです。

ただ、物が売れなくなってきて不況になったのは「『ゆとり』に気合と根性が無く、労働意欲やモチベーションが無いから」ではないのです。

高級路線の商品を作っても売れない。
高級な食べ物も売れない。
少子化になって教育分野も儲からない。

これって、やる気とか、モチベーションは関係ありません。