ココロセラピストが語る!『QOL』とは?~人生の質について本気で考えた事はありますか?~

誰かに押し付けられた『人生のレール』は、辛いですよ。

ちょっと前に流行った言葉、『勝ち組』・『負け組』という言葉も、この延長上に生まれたのではないかと言えるかもしれません。

そのステレオタイプの『人生のレール』が本当に正しいか、間違っているかは僕にはわかりません。というのも、ここに『QOL』が大きく関係して来るのです。

たとえば、いつも学校のテストで100点を取る子がいたとします。勝ち負けで言うなら彼は『勝ち組』なのかもしれません。でも、考えてみて下さい。その子は絶対に幸せなのでしょうか。テストで良い点数を取らないと親に怒られる。だから家に帰っても友達と遊ぶ時間が作れない。だから友達が出来ない。そういう状態だったらどうでしょうか。さらにイジメられていても、友達がいないから誰にも助けて貰えないとしたらどうでしょうか。彼は本当に『勝ち組』の人生を歩んでいると言えるのでしょうか。彼の『QOL』は本当に高い、満たされたものなのでしょうか。

僕たちはとても大きな勘違いをしているのです。『QOL』が低いのに『勝ち組』を目指すのです。

これはあくまでも僕の価値観ですが、自分だったら、友達とおしゃべりしたり、遊んだり、コミュニケーションが円滑で、一緒にクラブや塾、その他イベントで盛り上がったり、時にはイタズラをして怒られたりしながら、人間味に深みが出てきたら、そっちの方が『QOL』は高いと言えるのかな、と感じると思うのです。

だからと言って「みんな(全員)と仲良くしましょう!」という事では無く、これも個人差があって良いのです。少人数が好きな人がいれば、単独行動が好きな子がいても良いのです。必ずしも休み時間に外で遊ばなくても、教室でマンガを描いていたって良いと思うのです。

学生なら卒業の際に「本当に充実した学校生活だった! 思い出もたくさんできたし、成長できたと思う! まさに青春だった!」と言えれば、それこそが高い『QOL』だと言えるでしょう。

場合によっては不登校という道を選択し、卒業した事で身を守れたり、将来の夢に近付けたのであれば、それも決して低い『QOL』ではなく、むしろ高いと言えるのです。

『QOL』とは、ステレオタイプの必ずしも『人生のレール』の延長上に存在しているわけではないのです。

誤解しないで欲しいのは、僕は学校のテストで良い点を取る事に価値が無いと言っているわけではないという事です。もちろん成績は良い方が良いです。ある程度は努力も忍耐も必要かもしれません。勉強をする事で、勉強の方法も学べますし、難しい話も通じるようになります。ただ、学校のテストで高得点を弾きだすというのはスキルの1つであって、人生のツールの1つであって、武器の1つであるということなのです。それが『QOL』が高いという事では無いのです。

ちなみに、欲を言えば勉強の楽しさを共有できる仲間を増やすために、勉強の楽しさを伝え、わかちあい、共に良い意味で競い合って、互いに成長を促せるのであれば、ものすごく『QOL』が高いと言えると思います。

 

他人と比較する『QOL』?

他人と比較して優位に立つ生き方を目指し過ぎると『QOL』は下がってしまう危険性があると僕は考えています。それは何故かというと、寂しいからです。

人生は人それぞれ違います。幸せの定義も人それぞれ違います。そんなバラバラな個性の集団の中で僕たちはなんとかバランスを取りながら生きているのです。

僕たち人間は単体で存在しているわけではありません。他者との関係の中でお互いに影響を与えあって生活しているのです。

なので他者の存在を軽視し過ぎたりすると、細かいスキルがどんどんアップしたところで結果的には『QOL』は高くならないのです。