ココロセラピストが語る!『ユルシの儀式』とは?~私は自分をユルセナイ?~

人生は基本的には自分で終わらせるものではありません。 生きている限りはできるだけQOL(人生の質)を向上させた方が良いですよね。

 

漢字が気になって仕方が無い自分がゆるせません!

ちなみにトリビア(というほどでもない?)ですが、「ゆるす」の解説をします。
漢字で書くと「許す」「赦す」があります。

「許す」は、許可の「許」です。
つまり「やっても良いよ……」といった感じです。
一方「赦す」は恩赦の「赦」です。
イメージ的に宗教とかで、罪を帳消しにしてくれるような神聖な意味があるかもしれないと感じる人もいるかもしれません。

ただ、だからといって「自分を許す」と「自分を赦す」は、どっちが正しいのかと悩む人もいるかもしれませんが、そんなに気にしなくて良いと思います。
厳密には「赦す」は神様とか、権威のある存在(誰か?)が使う超越した免罪というわけではないようです。

たぶん、日常や仕事で「赦」を使う事はあまりないと思います。
許可に関することなら間違いなく「許」ですし、そんなに神経質にならなくても大丈夫です。深く考えすぎないで大丈夫です。

ものすごくこだわりがある人は学校の先生にでも聞いて下さい。
それ以外の方は、ゆるく、好きな方を使えば良いと思います。

 

何でもゆるしていたら警察いらない?

「謝って済むなら警察いらないんだよ!」が口癖な人も多いと思います。もちろんその通りです。ただ、謝りもせずゆるされようと思う人はもっとタチが悪いです。

「なんでもかんでも、ゆるせるはず無いでしょう?」と思う人もいると思います。
それも、もちろんの事です。ただ人生に失敗は付きものです。
自分をゆるさない限り、幸せな未来に向かう事は困難になってしまいます。
だからこそ、失敗したことや、自分をゆるせないという事だけにフォーカスしてしまわない方が良いのです。

自己否定を続けると「私の存在=何かの間違いだ!」となってしまうので、マイナスの暗示がかかってしまいます。
そうすると、潜在意識が勘違いして負の連鎖を引き起こしてしまう危険性があるのです。

もちろん、時には反省も必要ですし、懺悔も必要かもしれません。
ただ、それを永遠に意識してしまうと先に進めなくなってしまいます。
その失敗が偶然なら、開き直ることも大切ですし、原因や改善案がわかるなら、そちらにフォーカスした方が良いです。
そうすることで、自罰的になっている時間を、未来のリスク回避に時間に変える事ができるからです。
ただ、自分以外の誰かに迷惑をかけてしまった場合は、勝手に自分をゆるして完結してしまうと人間関係が音を立てて崩れてしまいますし、誰からも信用されなくなってしまいます。
謝るべきところは、きちんと謝ることも大切です。

 

なんでもかんでもゆるせるはずないじゃん!

ゆるしが大切なのはわかったけれど、それでも、ゆるせない事ってありますよね。
カウンセラーやセラピスト、あるいは宗教家の方も「ゆるしの心を持ちましょう」と言われた事があるかもしれませんが、どうもしっくりこない。そんなこともあると思います。

ただ、勘違いしないで欲しい事があります。
それは「ゆるさなければならない」という事ではないのです。

僕も、他の先生方も、「ゆるしてあげた方が、心が楽になるよ」というニュアンスで言っているだけなのです。
義務や命令だと勘違いする方も、ときどきいらっしゃるので注意が必要です。