ココロセラピストが警告する!『今こそゆとりを考えろ!』とは?—多様化とスピード社会:落ち着け! まずは、そこからだ!—

今後、どんな人と関わって行きたいのか。どんな言葉を選び、どんな行動を選択すれば良いのか。もはや規範はありません。いえ、あるにはあるのです。ただそれがマジョリティとは限らないのです。

走れ! 現代人……??

僕たちは絶え間なくめまぐるしい時代を生きています。気がついたら誕生日が過ぎていた。気がついたらクリスマスが終わっていた。気がついたらお正月になっていた。僕たちは一体何に追われて立ち止まる事さえ許されないような生き方を強要されているのでしょうか。

スピード。
現代をひとことで示すなら、まさにこの言葉がぴったりではないかと思います。

「急げ!」「モタモタするな!」「早くしろ!」「取り残されても良いのか⁉︎」……。
実際に日常でこういう言葉を聞かされている人もいれば、見えない何かに言われている気がして焦りが消えない人も多いのではないでしょうか。

気がついた時には、ココロもカラダもボロボロ。
ふと我に返って鏡を見ると、生命力がまるで感じられない自分がそこに立っている。
そんな時は本当にいたたまれません。

 

僕たちは気づき始めた!

そんな見えない何かに追われながら生きている僕たちですが、段々、そういうことを疑問に感じる方も増えて来たように思います。
これはとても良い事です。

少し前に『社畜』という言葉が流行りました。この言葉を僕なりに解釈をすると、社会人は会社の言いなりになって、会社都合で振り回され、管理され、消費される存在という意味だと思っています。

この言葉を「良い言葉だ! その通りだ!」という人もいれば「たわけた事を! そんなの甘ったれの戯言だ!」という人もいると思います。
もちろんどちらの解釈が正しいかなんて僕には言えません。

それはそうとこの『社畜』のイメージから連想すると、結論として個人としての尊重がされないほど時間に追われたり、忙しかったりするということではないでしょうか。

だから、『ゆとり』がなくなって、気がついたらボロボロになっていたというプロセスを辿ってしまうのかもしれません。
この『ゆとり』という言葉、最近は勘違いしている人が多いですが「事無かれ主義で無関心。優柔不断で決断力が無く他力本願。思考が停止している……」みたいな意味合いに解釈している人が多いみたいですが、そうではないのです。
『ゆとり』とは、余裕がある。ギスギスしていない状態の事なのです。

一方で『社畜』という言葉を良く思わない人たちは、完全に会社(ブラック?)に洗脳されてしまっているか、あるいは自分は支配する側で特に痛い目を見ていないかかもしれません。でも、必ずしもそういう悪い側面だけでは無くて良い解釈をすれば、自分の時間とココロとカラダを使いこなせているから、会社(ブラック?)に対して特に不満は無いのかもしれません。

だとしたら仕事とプライベートを両立出来ている人もいると言う事になります。もし周囲にそのような人がいたら、ぜひ話しかけていろいろと考え方を教えて貰うと良いかもしれません。

一方で、これは古い世代(昭和?)に多い気がするのですが「社会人たるもの、会社に尽くし、周囲に自分の実力を認められ、どんどん上に上り詰め、営利を追求し、会社のために死ぬ事が美学!」という人も、まだまだたくさんいます。

本当に昔なら、これで良かったのかもしれません。もしかしたら、これが『当たり前』だったのかもしれません。別に僕はこの考え方を頭から否定するつもりはありません。個人的には、そういう人とは関わりたくないと思っていますが、それはあくまでも僕の価値観です。人には人の価値観があり、美学があり、幸せがあります。なので、そういう価値観の人にとっては、それこそが幸せなのでしょう。

でも21世紀は若干、複雑になってきました。その従来の価値観を貫き通した結果、価値観の違う人と衝突する事も増えて来たのです。その代表格が熟年離婚です。せっかく結婚したのに夫は仕事、仕事。「会社優先なのは当たり前だろ。わかるだろ?」という言葉を連発した結果、定年退職と共に「あなたとは価値観が違うみたい。そろそろ別れましょう」という事になるケースもあると思います。

「俺は、正しい事をして来たのに、何故こんな事に……」と思うかもしれませんが、ここが問題なのです。会社が好き。仕事が好き。会社に尽くす事が当たり前。常識。そんなふうに仕事を続けて来られたのなら、それは決して不幸ではありません。むしろ、自分の思った(イメージした)人生を歩めて幸せだったとも言えると思います。ただし、それは、その人にとって……ということなのです。