ココロセラピストが語る!『ムダ』とは?~そもそもムダは本当にムダ?~

僕たちはお金も時間も大切です。人生と言う時間を如何に有意義に使うかこそ、人生最大の問題かもしれません。

 

エコとエゴ

最近ではエコという言葉が流行っています。とても素晴らしい概念です。しかしエコを勘違いしている人も案外多いのです。

たとえばエコバッグ。何枚も持つ必要はありません。しかしお店に行くと数え切れないほどのデザインのエコバッグが大量に売られています。でも、何故かエコとして使うための袋なのに何枚も買ってしまったりしている人たちが身近にいないでしょうか。それこそムダですよね。
バッグとしてではなくコレクションとして集めて、眺めて喜びが込み上げて来るのなら無駄ではありませんし、素晴らしいと思いますが、そう言う人はあまりいない気もします。
エコバックそのものもスーパーのビニール袋より丈夫なだけで、長く使えそうかと考えるとそんなに頑丈には感じられません。

一方、スーパーのビニール袋。あれこそ僕には便利に思えますが世間ではアンチ・エコの目で見られていますよね。スーパーのビニール袋って一度貰って、直ぐに捨ててしまうものなのか僕には不思議でなりません。家のゴミ箱に入れて使ったり、ちょっとした事に使えてかなり便利な気がします。必要以上に貰ったり、直ぐに捨てたらムダですが、そうでなければ有難い存在な気もします。

タンブラーも謎です。缶ジュースやペットボトルの飲み物は高いし、資源の無駄だからタンブラーを持ち歩く事でエコになると思っている人が殆どだと思います。現に僕も出掛ける際は必ずタンブラーを常備しています。しかしあれも、エコバッグ同様デザイン性を重視しているので、数え切れないほどの種類があります。そして、エコどころか必要以上に値段が高く、それこそムダではないかと思う事もあります。長く使えるかというと、フタが劣化しやすく、本体がステンレスで丈夫でも持ち歩きには案外不便だったりします。結局、何度も買い換えるならエコとは言い難い気もします。普通の水筒の方がもしかしたら便利な気もします。

名称はわからないですが、透明のペットボトルに絵や文字がかかれたモノ(つまり空のペットボトル)をよく見かけるようになりました。最近は安いものなら100円くらいで売っているようですが、あれも謎な商品です。あれもタンブラー同様、自分の飲み物を持ち歩く道具なのですが、空のペットボトルにお金を出して買うと言うのが、それこそムダな気がします。だったら中身の入った普通の清涼飲料水を買って、飲み終わったペットボトルを捨てずに使い回した方が良いです。そうすればお金もかかりませんしゴミも減ります。
お店によってはペットボトルを1本入れると1円相当のポイントに変えてくれる機械だって置いてあるのです。本当にエコ活動をしたいなら、何度か使い回して劣化してきたらポイントに還元した方が余程エコだと思います。

そもそもエコという概念が出現したということが、今まで僕たちがモノを大切にしてこなかったという結果です。それこそ、資源をムダ使いしてポイポイしてきたからエコという概念が出て来たのです。

187629932

 

まるで陰謀?

世の中はお金の影響を強く受けて動いています。だから、モノはたくさん売れた方が良いです。ただ、21世紀になってからは特に、その考え方だけが独り歩きしてしまっているような気がします。

たとえば、エコブームも、もっともらしい事を言って、結果的にエコにならなくても儲かればそれで良いと言うか、そういう胡散臭さを感じるのです。

『ダンジャリ』という言葉も、本来の意味とはかけ離れて、屈折して独り歩きしてしまった気がします。勘違いに拍車がかかって「捨てる=カッコイイ」みたいになっている気がします。

時々FACEBOOKなどで「ダンジャリします!」と高価な品物をアップしている人がいますが、ものすごく不思議な気持ちになるのです。覚悟を決めて宣言しなければ捨てられないようなモノなら捨てなくて良いと思うのです。場合によっては『高級なものでも捨てる裕福な私アピール』にも思えて来ます。本当にゴミならわざわざアップしないと思いますし、本当にエコや不要なモノを処分したいのなら、「あげます」と投稿すれば良いと思うのです。そして捨てる前に、リサイクルショップに持って行って買い取ってもらえるモノは売って、買い取り不可の用途の無いモノは捨てる…といったプロセスを経た方がエコだと思うのです。

「私は時間をお金で買うタイプなの。だから使えるものでも、売れるものでも捨てて良いの!」というタイプは、まさにお金に支配されてしまった人なのかもしれません。お金は得られるかもしれませんが、大切なモノをくれぐれも失わないように気をつけて欲しいところです。

「モノを大切にしましょう」なんて言われてはいますが、売っている巷の商品が売る回転率を上げるためか、本当に丈夫で長く使えて高品質な商品を出さなくなりましたよね。

一昔前なら「お爺さんの代から伝わって来た○○だよ」みたいな道具が家に1つや2つはあったと思います。カバンとかタンスとか、何でも良いのですが、最近は見かけませんよね。

でも、現代の商品って次世代まで現役で使えるモノってあまり売っていない気がします。デザイン性を重視して、欲望をかきたてて、不要とわかっていても欲しくなり、寿命が短い商品。劣化こそしないけれど、意図的に作られた流行で心理的に使えなくしてしまったりする商品。もし、そういうのが意図的に行われている商法が現代の主流だとするのなら僕は悲しいです。

スマホのバッテリーも怪しいなって思っています。アプリが次々出て来るのは便利かもしれませんが、バッテリーの減り具合が早ければ不便です。だったら話は簡単で、消費電力の少ないアプリを開発するなり、長持ちするバッテリーを作れば良いのです。でも、そういう話はあまり耳にしない気がします。それよりも「そろそろ買い替え時かな?」と自然に思えて来るような商品を次々に出した方が儲かるから良いのかもしれません。

220257100

 

ムダについて考える

僕たちはお金も時間も大切です。人生と言う時間を如何に有意義に使うかこそ、人生最大の問題かもしれません。自分にとって本当に必要なモノは何なのか。自分にとってのムダとは何なのか。そして必要無駄も時には大事なのではないか。
時々ふと立ち止まってそのような事をじっくり考えてみる事は決してムダではないと思うのです。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713