スピリチュアルな生き方―不思議なスピリチュアルな人あるある

特別な儀式やしきたりを守らなくても、ただ、この世の一部として存在し、守られていることに感謝する。 ありがたいと思うから感謝する。自然に頭を下げたり、手を合わせたりする。 多くの日本人が、そして、世界中の人々が、義務ではなくそれぞれの形で自然にしてきたことです。

私は今、普通に霊的な力も、生まれつきの性質=HSPも活かしてお仕事をさせていただいていますが、35歳までは一切スピリチュアルな物事を否定していました。

何故なら、何でも霊的な物事のせいにしている人達が嫌だったし、スピリチュアルにかこつけて人を騙す人を多く見聞きしてきたからです。
だから、神仏、龍や鳳凰を見せられても「気のせい気のせい」と思っていました。
幽霊や精霊達はいない物として見ないふりをしていました。
そんな私がスピリチュアルを受け入れたのは、スピリチュアルブームでおどろおどろしくない霊的な話を知る機会が増え、少しずつ受け入れられるようになった頃にある体験をしたからです。

晴れた夕暮れ時、娘を車で送っている時に、高い山脈のさらに上空に雲で大陸のようなものが出来ていて、その上に二人の仏様がいて、横に龍頭の船首を持つ船が浮かび、鳳凰も飛んでいたのを見た時でした。
(詳しくお知りになりたい方は私のセルフカウンセリング文章群「私の中の森」の一節「釈迦と龍の船」をお読みください)

「ああ、一緒だな」
そう思ったのです。

神仏や、物質的な形を持たないこの世ならぬものが存在するのも、私達がいるのも、春に花が咲き、秋に山々が紅葉するのも、雨が降り、晴れ、虹が出るのも同じこの世の一部だと、ストン、と、思えたのです。

神仏も、人間も、動物も、草も木も花も土も鉱物も、水も空気も何もかも、全てこの世の一部で同じ世界に存在している物に過ぎない。幽霊や魑魅魍魎でさえ、全て。

それは奇跡のような素晴らしい事だけれど、特別な事でもなんでもないと。

その時はそう思っても数年間は迷いがありましたが、スピリチュアルな物事を特別に扱わない流輝先生に出会ってやっと「スピリチュアルな物事は普通です」と思えるようになったのです。

受け入れられなかった過去があるから、この感覚を手に入れていない人にはスピリチュアルは普通だと理解できなくても無理はないと私は思います。

 

スピリチュアルな生き方

冒頭に書いたクライアント様達に詳しくお話をお伺いすると、普通に神仏に感謝し手を合わせる気持ちが出てきただけと言う事がほとんどです。
「それは普通で当たり前のことですよ」とお伝えします。

特別な儀式やしきたりを守らなくても、ただ、この世の一部として存在し、守られていることに感謝する。
ありがたいと思うから感謝する。
自然に頭を下げたり、手を合わせたりする。

多くの日本人が、そして、世界中の人々が、義務ではなくそれぞれの形で自然にしてきたことです。
宗教を信じるのと、神仏や私達を見守ってくれているこの世ならぬモノ達に感謝するのは別な話です。

変な事を言ったりやったり騙したりする人がいるから怪しいと思っちゃうだけです。
それはね、神仏や見えない物が怪しいのではなくて、それらにかこつけて騙す人がおかしいのではないですか?
また、やたらと格式張って作法だの儀式だのの形にとらわれている人も、スピリチュアルを特別に言う人も、スピリチュアルな物事から人々を遠ざけ、怪しく思わせている元凶だと私は思います。

ただ好きな人に自然ににっこりと微笑みかけるように、自然な気持ちでそれぞれの形で感謝し祈ればいいし、それがスピリチュアルな生き方だと私は思っています。

 

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