東京新宿区 高田馬場にある、「占いカフェ 神々の森神社カフェ」からの、タロットカードについての発信です。
今回は、前回に引き続いて「月」の2回目になります。
タロットカードは、15~16世紀のイタリアに突然現れた神秘のカード。
おそらく、現在一番知られている占いの一つですが、親しみやすそうな外見と裏腹に、使いこなすのは意外に難しかったりします。
その理由は色々あると思いますが、ひとつは、カードがヨーロッパで作られたものであり、ヨーロッパ文化を前提としないと意味が分かりにくいということがあると思います。
「日本の霊性」とは何か
前回はヨーロッパのタロットの月のイメージはどこか悲しげで不安を含んでおり、抑圧された精神性や産出力を感じさせ、悲哀の意味合いもそこから出てくるようだというお話でした。
今回は、「日本の霊性(日本人の霊的的・精神的な特徴)」から月の考察をしたいと思います。
日本の霊性とは何なのか。これはとても難しい問題です。しかし、まさに日本の霊性とは、私たちの中にある霊性ということなのですから、私たち自身を考察することから分かってくるはずです。
日本では、自分自身を「無宗教」だと捉える人が非常に多いです。
しかし、よく言われる通り、神社やお寺などに参拝する人数・頻度は諸外国と比較しても多いですし、クリスマスなど、様々な宗教が元になったイベントも盛んです。教会で結婚式があれば、十字架に祈る人もいるでしょう。
こうしたことは、宗教性に対する「節操のなさ」「幼稚さ」のように捉えられることが多いのですが、本当にそういうことなのでしょうか。
私たちは、なぜお寺でも神社でも、時には教会でも拝み、祈るのでしょう。
―「何か信仰をしているわけではないけど、そういう場所は神聖な場所のように感じており、拝むと効力がありそうだから」などという理由が、最も多い意見ではないでしょうか。
これは、
・はっきりとはしないが、「神聖な場や存在」が「色々と居そう・ありそう」である。
・かつ、その存在や場からの力の影響を受けることができる。
・影響を受けるためには、その存在の「近くに行ったり、語りかけたりする」必要がある。
・影響を受けるために「信仰心・思想」はあまり関係がない。
という捉え方だと言えます。
宗教学的には「精霊思想(この世界には霊的な存在が多くいて、語り掛けや供儀(供え物)によって影響を与えてくるという思想)」に近い、れっきとした宗教意識だと思います。
「はっきりとはしないが、神聖な場や存在が色々ありそう」という意識は、神道だと八百万神々(やおよろずのかみがみ・あらゆるものに宿る神々)・仏教だと山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ・全てのものが本来仏である)などと表現されます。現代でもそのまま残っている、日本の霊性の根本だと思います。
月のイメージ
さて、「月」のことを思い出してください。月とは、根源的な精神の力であり、太陽の現実的な意識に比較して、「意識化されない領域」「暗い力」「生殖力」などを表しているのでした。
これはまさに、「はっきりとはしないが、神聖な場や存在が色々とありそう」だと感じ、そういったものを重んじる、日本の霊性と非常に近いところがないでしょうか。
目に見えるもの、はっきりしたもの、明確なものこそが、良く・強く・正しいという感性とは異なり、はっきりとはしないものが、本来神聖であり、力もある、だからこそ、大切にしようという感性が日本の霊性には流れていると思います。