ともくん宮崎からの手紙―! PART.1 新岩戸地区からの手紙(天孫降臨の真実を追う)~後編 その1~

百済の皇子が眠る比木神社は日向の出雲族か!?

前回に引き続き、スピリチュアルな県、みやざきの天孫降臨の真相を探る旅。

ここで思い浮かぶある一つの伝説につきあたります。

それが、宮崎の中央にある木城町にある比木(ひき)神社でした。

比木神社はむかしから僕自身よく親しんだ場所で、実家で祀っている祭神も、ここの神霊だったため個人的に気になっていた場所でした。

ここには県内でも歴史的には最古の神社のうちの一つといわれ、百済の皇子福智王が、宮崎県高鍋の浜辺に敗戦し漂着し、死後神として祀られているのだといいます。

百済の皇子だと思っていたけれど、彼がやってきた時代は700年代で、百済は600年代の昔に滅んでいるので事実的にそれが史実だった かはわからないとされていますが

伝承としては、大国主やスサノヲなど出雲の主神を祀り、その前から既に存在していた神社だったといいます。

「国譲り神話」で天孫族に国を譲った大国主は最後の晩年を、 なんと宮崎県で過ごしていたのだそうです。

そのはるか後で、出雲大社ができたのだとか。 宮崎県で一宮とされる神社は、なぜか出雲の大国主(大黒様)を祀る都農神社。

そこの神主さんのご先祖様が、この比木神社の伝説や、様々な情報を管理されていたという話を聞きました。

この時点で相当に何かきになる。

さらには比木神社の横にも昔から天照大神を祀る伊勢神社が寄り添うように存在します。

さらに調査を進めてゆくと、大国主の前には、饒速日が都農神社の神であったという記録もあり、都農神社のご神体は今でも饒速日が天孫降臨している伝説が根付いていたのです。

(都農神社)

また、その延長に大年神社の百済からやってきた福智王の記述に、最古の記録に興味深いものがあったのでした。

1700年代の相当昔に笠原氏という方が調べた記録である「日向見聞録」には、福智王や百済、異国の大将軍がこれらの土地に祀られているという俗説は、実は違っているものだという研究があった。

昔の時代の研究家が突っ込んでいたというところが面白かった。

それには天孫降臨の際国譲りをした出雲の神である大国主が、日向のこの地で隠居するように命じられたことが

間違って現地に伝わってしまった……とあるのです。

つまり、 福智王という百済の王子は、 ほんとうは出雲皇子の大国主だというのです。

「え~!? 日向って天孫降臨発祥の地だと思っていたけれど、違ったの?」

と思う僕でしたが、さにあらず。

 

つまり天孫降臨の謎は、 出雲の伝説となり封印されていたのです。

(日子神社)

日向の中に出雲あり。

天照大神と大国主。この二つの神を点と線で結んでいくと、 みえる歴史上の国家。

「邪馬台国ー!」 事実として登場する、人物たちが浮かんでくる。 太陽でもあった鳥族の女王、そして巫女だった卑弥呼(ひみこ)が見えてくる。

之伎野(しぎの)王妃のいる大年神社から由来のついた持田古墳群からは世界で現在二つしか出ていない卑弥呼の鏡も出土しています。

もう一つは畿内周辺の福知山市で出たというのでやはりこれらが同じものだとすると、卑弥呼の死後~生前あたりの、重要な意味合いを持つものだったと思うのです。

まだ様々な説があることではありますが、 大和周辺に卑弥呼がいて、日向地方に何らかの伝承たちがさまざまな象徴となって残り

人間卑弥呼ではなく神アマテラス伝説となったということは、おそらく間違いないかもしれませんね。

(~動画~※天照大神の原像を追う)

 

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