八百万の神々は神々の大いなる意志と意向を伝える!? 平成最後の神迎祭☆出雲大社

その御神氣に感動し、涙を流す方もいらっしゃれば、魂を震わせるような感覚を覚える方もいるでしょう。

踊りだしたくなるようなワクワクした感じを覚える方もいるでしょう。
反対に言い知れぬ恐怖を感じ、神々への畏怖の念を抱く方もいらっしゃるでしょう。

御神氣を感じるのに、どの感覚が正解だという事はないのです。
そして、神々もまた、人がどう感じるなどは関心もなく、ただ一筋に、大国主大神の元へと向かわれるのです。

神楽殿へと神籬が到着し、粛々と御神事が進みます。
どんどん重みも大きさも増していく御神氣、いよいよ灯りが消され、出雲大社本殿へと御移動される時が来ました。

その様子は神籬に無数の海蛍のような青白い光が宿り、残像はリュウグウノツカイのようで、勢いは神様バズーカーのようだと以前記事にしましたが、今回は神楽殿内部ではなく、離れた外部で初めて視るので、ドーンっと魂に響く波動は少なく済みましたが、それでもその神々しさは同じように大きく視えました。

逆に、離れているからこそ視える風景、それが新しい年には必要な感覚だと教えられたように感じられました。

 

多様化する世界は神々の意志を顕在化する世界

喜びも悲しみもその渦中にいる時には意味も見いだせず、ただその感覚を感じて一喜一憂して大きな視点を持てませんが、時が経ち、ふと振り返るように思い出せば、あの時の体験や想いがここに繋がっていたのだなと感じられます。

人の魂の成長もまた、感情の渦中にいる激しい時もあれば、離れて回想し、その意味を知る穏やかな時もあります。

全ては四季のように移ろい、様々な風景を見せ、そのどれもが美しいのだと教えてくれているかのようです。

それは、ただ陰陽のように二極に分かれるのではなく、多様化していく年の始まりであると告げているかのようでした。
善き悪しきではなく、ただ好ましいか好ましくないか、ここまでが二極。

けれど、その好ましいと思う事柄は千差万別。
思想もまた千差万別。

そのどれもが善きも悪しきもどちらも兼ね備えてはいるけれど、それらは状況によっても時代によっても変わる、人が自由であることを神々は遠い昔から願っているのだよと教えてくださっているかのようでした。

一極を目指していた時代から二極へ、そして多様化する時代へと変わり行くという事は、一つの時代の終わりを告げる事でもある、世代交代の大きな波は、八百万の神々の御神氣の津波のように波及し、荒々しく流し去れば、同時に不要なものを薙ぎ祓い、私たち人の心の奥底に沈んでいる、産まれる前に決めてきた神様との約束を浮き上がらせてくれるかのようでもあります。

ならば、この神迎祭から今年を予測するなら、前半は時代の終わりを告げるような出来事も多くあり、後半も新しい時代へと変革していくのに多少の荒れはあるでしょうが、それらに逐一流されず、心揺らがされることがある度に自分の真実に気づいたり、信念を再確認し、志を新たに抱き、自分にしか歩めない人生を選択する事をさらに求められる年になるのでしょう。

その決断は時に大きな反対も、大きな痛みも伴う事があるかもしれません。
ですが、それは本物なのか八百万の神々に試されているのかもしれません。

本当にそこへ向かうだけの覚悟はあるのかと。

覚悟がなければ留まり、さらに力を蓄えるのも善し、覚悟が出来たと思うのなら進むも善し、特に覚悟を問われる事もなければまだ時が満ちていないのだと日々を静かに過ごすのも善し、全ての善しを知れる年なのでしょう。

善き悪しきは表裏一体。
そこから生み出される無限の可能性をさらに感じられる一年と成るでしょう。

個人的には、御神幸が来る間も、御神事が行われている間も、後ろにいた若いイケメン2人組の会話がコントのようで面白くて、どんな出来事があっても結局笑いに変えられ、御神事が終わった時には振り返り、イケメンたちとバッチリ目が合った上に、ふと漏らした私の呟きに2人が反応し、ちょっとした心温まる交友が出来たので楽しい年になるなと感じています(笑)

いやぁ、眼福でした!
八百万の神々、大国主大神、イケメンたち、私に幸福をありがとう!

皆様も善い年に成りますように☆

 

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