感情は、自分の中にある観念を教えてくれる先生です。〜あるがままにこの世界を体験する在り方をしたい〜

この世界は、一瞬一瞬の連続でできています。 一瞬一瞬の連続なのだと深いところで気づいたら、 あるがままにこの世界を体験する在り方しかありません。

『感情を観察すれば、自分がどんな観念を持っているのか? を、簡単に見つけることができます。』

例えば「怒り」は、目の前の出来事に対してただ現れてくるものです。

怒りが生まれたということは、
欲しくないものが現れた証拠です。
怒りは、「こうあるべきという考え」が自分の中にあることを教えてくれます。
実は同時に「欲しいものがわかった」瞬間でもあるのです。

怒りに囚われてしまうと、
出来事に対して、いかに自分がひどい状況かしか見えなくなってしまいます。
怒りが現れたなら、ちょっと後ろに引いて
どんな観念が私に怒りを起こさせたのか?
観察してみてください。
「こうあることが正しい」という考えが必ずそこにあります。
その考えに気づくと、
「この考えを通して見ている」から「このように見えるのだ」が見えてきます。

赤いサングラスをかけていたら、赤いものがよく見えなくなります。
黄色いサングラスをかけていたら、黄色いものがよく見えなくなります。
「ああ、今私はこの色のサングラスをかけていたから、このように見えているのだ」ただ、そのことに気がつきます。
感情を観察すれば、自分がどんな観念を持っているのか? を、簡単に見つけることができます。

 

『この世界が鏡でできていると言われるように、自分が放つ波動を受け取るのは自分です。』

これからもその観念を持ち続けて、その見方をしていきたくないものなら、
「今までありがとう」と手放すこともできます。
手放したい観念を見つけた時、「嫌だから遠くに投げよう」と手放そうとしてもうまくいきません。
なぜなら、この世界のたった一つの法則である「自分が与えたものが自分の受け取るもの」に従って、
「嫌だ〜」波動を放てば「嫌だ〜」が戻ってくるからです。
つまり手放すことができないということです。
どんな観念だとしても「ありがとう」と放つなら、「ありがとう」が戻ってきます。手放すことができるのです。
この世界が鏡でできていると言われるように、自分が放つ波動を受け取るのは自分です。

 

『過去を投影し続けると、今この瞬間にある大切なものを見失ってしまいます。
感情だけが、あるがままにこの世界を体験する在り方に向かう道を教えてくれます。』

観念は、過去のどこかの地点の出来事によって、
「正しい」「正しくない」の判断をした結果、抱えたものです。
過去のその地点では大切な教えだったかもしれないけれど、
「今この瞬間」では過去の産物です。

過去を投影し続けると、今この瞬間大切なものを見失ってしまいます。
感情だけが、あるがままにこの世界を体験する在り方に向かう道を教えてくれます。

赤ちゃんが、お腹が空けば空虚感に泣いて、
お腹がいっぱいになれば満たされた顔になり、
オムツが不快になれば不快を表現するように、
今この瞬間感じているものに気付いているけれど、
それが表現されたなら終わっていく。
今この瞬間、感じているものだけがすべてになるなら、
過去を引きずることはなくなります。
過去も未来も存在せず、今だけが存在するようになります。

アインシュタインが「時間と空間は、意識が作り上げた幻想」と言ったように、
この世界は、一瞬一瞬の連続でできています。
一瞬一瞬の連続なのだと深いところで気づいたら、
あるがままにこの世界を体験する在り方しかありません。

感情は、自分の中にある観念を教えてくれる先生です。
過去を投影し続けると、今この瞬間にある大切なものを見失ってしまいます。
感情だけが、あるがままにこの世界を体験する在り方に向かう道を教えてくれます。

感情を観察すれば、自分がどんな観念を持っているのか? を、簡単に見つけることができます。

 

 

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