好きなことでも嫌になる?〜末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.37

「好きなことをして生きていける」かどうかは、できない自分をいかに愉しめるかということにかかっているのかもしれません。

「嫌になる」というのもある意味大切なことなのかもしれませんが、嫌な気持ちのその奥に何が潜んでいるのかを見ようとしなければ、ただエゴの思惑通り、喜びや幸せを感じて生きていくことを遠ざけてしまうことでしょう。

最初好きだと感じたことが嫌になるというのは、「思った通りにならない」からではないでしょうか。期待した通りに進まない、結果が出ないから嫌になる。

好きなおもちゃで機嫌よく遊んでいたのに、なにかしらのはずみで思ったように動かなくなって腹が立ち、おもちゃを放り投げてしまった幼児に対して、「おもちゃが悪い」だの「嫌いになったなら仕方がない」だのと言ったりしないはず——なぜおもちゃが動かなくなったのかを知ろうとするはず——なのに、大人になっても同じようなことをしているということに気がつけば、「好きなことをして生きていきたい」という思いを持って進んでいく上でどんな失敗があろうと、思い通りにならないからといって憤慨し、「嫌い」で片づけてしまったり、人のせいにしたりするようなことはなくなるかもしれません。

人生が何でも思い通りに、期待した通りになる状態が「好きなことをして生きている」状態なのではありません。
つまずいても転んでも、それを腹立たしいことや恥ずかしいこととして捉えるのではなくて、よりハードな道でもしっかり歩んでいけるようになるための、ありがたいギフトなのだと感じて進むなら、「好きなこと」はいずれ「仕事」になっていることでしょう。

 

≪ 未熟さを愉しむ ≫

理想と現実にギャップがある、いつまで経っても結果が出ない、なかなか望んだようにはならない。それだけのことで「嫌い」になったり、「向いていない」だの「才能がない」だの言ってやめてしまうなら、それまでです。そもそも心から望んでいた道ではなかったのかもしれません。

できていない、うまくいかない、失敗するというのは、むしろありがたい経験なのではないでしょうか。
自分を天才だとでも思っていない限り、素直に自分のできなさを受け入れられるはずです。何ができていないのか、何を理解していないのかを知ることは、傷つくことではなく喜ばしいことだと思います。できなくて傷つくのだとしたら、自分を買い被りすぎているのだとしか言いようがありません。

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動かなくなったおもちゃを観察し、その理由と仕組みを知って、次に遊ぶときは何に気をつければもっと楽しめるのかということがわかれば、心から喜びを経験できるし、同じような失敗を経験した人におもちゃの使い方を説明することも可能で、そのうちそのおもちゃの専門家になっているかもしれません。
好きなことが仕事になる仕組みというのは、いたってシンプルです。

癇癪を起しても誰も幸せにはなれないし、周囲の気を引こうと泣き喚いたところでできるようにはなれないのだから、一時の感情に流されて「嫌になったからやめる」と決めてしまう前に、もっと本質をよく見て、等身大を受け入れ、「好きなこと」が「できる」状態になるには何があればよいのか、どんなトレーニングをすれば上達するのか、もっと柔軟に自分自身と状況を見ていくことが大切だと言えるでしょう。

「才能がないから」と言えば、好きなことややりたいことができなくてもかっこ悪く見えずにすむ(誰もがその理由には納得するだろう)と思えるかもしれないけれども、そうやって自分のできなさと向き合うことや、自分の可能性を誰よりも自分が信じるということから逃げているその状態はとてもかっこ悪い。

「好きなことをして生きていける」かどうかは、できない自分をいかに愉しめるかということにかかっているのかもしれません。
できないからこそ、おもしろい。できないからこそ、やってみたい。行けるところまで、行ってみたい。
過剰な努力をしなくていいし、苦しまなくてもいいけれども、自分を信じ、自分の未熟さを愉しむことはしてもいいんじゃないかと思います。

 

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