末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.29 ~本意それとも作為~

相反する思いがあるとわかったとき、どちらが本心で、どちらが屁理屈(怖れを隠し持った作為的な思い)なのかを明確にしてみるとよいでしょう。「ほんもの」でない思いには、必ず怖れが潜んでいます。また、両方が「ほんもの」でないこともあるので、気をつけたいところです。

本意ならば

相反する思いがあるとわかったとき、どちらが本心で、どちらが屁理屈(怖れを隠し持った作為的な思い)なのかを明確にしてみるとよいでしょう。「ほんもの」でない思いには、必ず怖れが潜んでいます。また、両方が「ほんもの」でないこともあるので、気をつけたいところです。

先の例で言うと、「セラピストになりたい」という思いさえも、本意ではないことがある、ということです。この場合、自分では真剣に、本心だと思って疑わない可能性があるので厄介ですが、「なぜそう思うのか」、「そうなることで何を果たしたいのか」、「何のためにそれを実現したいと思うのか」という問いに答えてみれば明らかになると思います。

「セラピストになる」というのは、“真のゴール”ではありません。「結婚はゴールではない」とよく言われますが、これと同じで、そうなってから何をしていきたいのか、その目的、意図が重要なのです。
セラピストになるには、その目指す分野で資格を取れば誰でも形としては「なれる」し、誰の認定もなくても、「自称」でやっていこうと思えばそれも可能なことであって、さして難しいことではありません。

大事なのは、そうなった後です。そこから先の、心のあり方と行いが肝心なのですから、そのとき自分がどう在りたいかを問うてみればよいのです。何も言えないのだとしたら、「形」を求めているだけなので、「ほんもの」とは言い難いでしょう。

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家庭で、あるいは学校や職場で、自分の能力を認められたことがなく、自分の存在意義を感じられなかった場合に、「癒しの世界」、「スピリチュアルな世界」なら自分を受け入れてくれ、評価してくれるだろうと信じ、「セラピスト」や「ヒーラー」になれば、自分にも「不思議な力」があり、「特別」だと思ってもらえる、人として認めてもらえるだろうと錯覚して、その世界の門をたたいても、一時的にはエゴの喜ぶ体験ができるにせよ、必ず行き詰まって頭を打つことになります。

どこの世界もある意味同じだからです。どの分野で活動しようと重要なことはまったく同じで、DoingよりもBeing――何をするかではなくどう在るか――こそ第一義とすべきことなのです。何になるかということは、まったく重要ではありません。

「自分に正直であり続けること」が大切で、そのためには自分の思いをひとつひとつ観ていくこと、何が本意で、何がエゴ(自我)の作為なのかを知ることだと述べてきました。

もし自分の思いが本意なら、何も迷うことはないし、行動をゴールにするのではなく、あり方におけるゴールを掲げているはずです。“真のゴール”を持つならば、実現しないなどということは決してありません。

何のためにそうなりたいのか。その問いに対しても、正直でありましょう。
「自分の承認欲求を満たすため」という、怖れでいっぱいになった思いがもし見えてきても、怯まないこと。ただ他者に自分の存在を認めてもらいたいだけだったのだと気づいても、落胆する必要はないのです。
エゴ(自我)の思いを直視できたぶんだけ、人は本当の意味で強くなれます。本来の強さを、思いだせます。その上で、「本意」への旅を始めましょう。それは必ず、見つかることでしょう。

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