「甚六さん。お稲荷さんって人間のいる街に多いでしょ。みんな同じお稲荷さんなのに、なんであっちこっちにたくさんあるの? 昔から沢山あるの? 元は一つの神様なの?」
見習い眷族の子猫には、むづかしい事も簡単な事も不思議な事ばかり。
甚六は答え、教える。人間とは伝え方が異なっていて、自分の大容量な知識を相手の意識に一瞬でコピペするので、人間のような会話は無く、即判る状態にしてあげる。
狐語り……稲荷と狐のつながりとは
「仔猫のちゃー君。質問の答えはこれでいいかな。」
甚六がそう答えたときには、人の言葉に直すならば、以下に記せる程の沢山の文言が子猫に伝わっている。
稲荷狐と人間との付き合いはとても古い。
自慢をさせてもらえるかな? わたしたちは人間に尊敬されて存在してきた。古い時代に大きな陸のある世界で、稲穂を持った女神様がいて、狐は一番近くで働く事が許された眷族だ。それがわたしの、人間で言う先祖に当たる。
系統は違うが、もっと南の鬼神様に仕えた系譜や、もっと西の悪い蛇と戦った神を助けた一派も、人間にとって狐様だ。命のある狐の中で、その生き様を神様に認められて神様の使いになる稲荷眷族もいるが、ほとんどの眷族は風や光や水の渦から生まれる。
稲荷と狐とのつながりは、人間が田や畑を作るようになったときから始まった。
蒔いた種をついばむ小鳥や、稲や作物を食っちまう鼠や兎を食う生き物の中で稲荷眷族の依代になれる賢さと魂の質を持つ生き物が、ここら辺の神様のいる大地では狐だ。
人間の中で稲作をする民が祭ったのが「稲を荷う」の神、要するに稲が無事に収穫出来るように守ってくれるカミサマだ。
だからわたしたち稲荷狐にしてみれば元々稲荷などというのは神さまの名では無い。大和の国ならば大御所は豊受大神、宇賀神とかだ。南なら荼吉尼天、これは仏教と一緒に来た。
西の国では様々な神話の豊穣の神様たちも作物を荷うから「稲荷」に相当する。水田の水を護る宇賀神の眷族は蛇だが、蛇も小鳥や鼠の捕食者だからで、稲荷だから狐しか眷族がいないわけじゃあない。
この辺で街によくある稲荷は江戸時代に勧請された伏見稲荷の分社が多い。
わたしが今お仕えしている祠の神様は由来はもっと古いみたいだ。祠の起源はわたしにも解らない。降りて来られる稲荷の神様のご神名は『稲倉魂命』という神道系の神様だ。人は誰かも知らないで拝んでいるよ。