甚六の居る稲荷の祠は静かな感動で満ちていた。
小野照崎神社の狐は小野篁さまの神として祀られる犠牲の真意を思いはかる。
【 狐眷族『長老』。戦さ語りはまだまだ続くが…… 】
長老狐は滔々と話し続ける。
「戦いは間違った情報で伯父たちが将門さまが自分たちを滅ぼすと誤解したことが発端で、それこそ『骨肉が争う』古代ヤマトの呪詛に翻弄された。敵も味方も誰もが被害者だ。最大の被害者はいわれの無い裏切り者のレッテルを貼られた将門さまの従者。そして「良い事をしたことがない」と『将門記』に悪人呼ばわりされて記された将門さまだろうねぇ。歴史の中で勝者が都合の良い伝説を作り、面白おかしく消えて行った人々に恥や罪をなすり付ける。歴史物語の元になった伝承はそういう嘘や間違いに満ちている。
桔梗という側室が裏切って弱点を教えただの、子春丸という従者が裏切ったと言う話は物語としては有名な話だが真っ赤な嘘だよ。子春丸は、将門さまが目をかけて可愛がってきた領民で、敵に捕まった際に将門さまの屋敷の作りを聞かれ、黙秘したが故に殺された。喋っていても殺されたろうけど、歴史は将門さまの大切な忠臣を汚して記した。
『桔梗の方(ききょうのかた)』は、領民が、桔梗柄の着物を着ていた奥方とお付きの女たちを『桔梗さま』とお呼びしていたのが、伝えられて行くうちにこれも裏切りの曲解に晒されたのだねぇ。『桔梗さま』なんて個人名ではないのだよ。
この真実にはもっと悲しい女のエゴの顛末がある。
確かに奥方の『お付き』の一人は間者(スパイ)だった。将門さまの敵の平良兼に奥方の居所を漏らした。
その女は将門様の側で仕えるうちに、将門様に恋をして将門様をひとりじめしたかった。ライバル=正室を消せるとそそのかされた女の哀れなエゴが舟小屋の正室と乳飲み子惨殺の悲劇を招いたが、女は間者を続けるうちに自分も側室だと思い込む。幸か不幸か、お手が付いて女は娘を生む。間者だから、将門さま亡き後も命は安泰とはいえ、明日はどうなるかの保証はない。
民衆に将門さまを慕う残党が多い事を知ると、『桔梗』が裏切り側室や子が殺され、『桔梗』自身も身から出た錆で敵に討たれた。と自身のした事を『桔梗』のせいにし、身を守るためとささやかな見栄で自分が正室であったと語る。間者は将門さまを慕う元領民に正室としてかくまわれる。正室はその女のせいでとっくに遺髪すら見つからぬまま幼い子供もろとも兇刃に倒れているものを、将門さまの私生活の事などは、民衆には知られていなかったから、偽りはバレなかった。真実を知る者はそこにはいないのだから……。
将門さまを慕う人々はその母娘にとても良くしてくれて、生前の将門さまが川の堤防を自ら泥だらけになって積み上げてくれた話や、疫病が流行った時に保養の建物を立てて感染が広がるのを防いだ事、さまざまな将門さまのお優しい行いや領民に愛された人柄を懐かしんで話してくれる。それを聞くうちに素晴らしい人の妻という立場で慕われる事が喜びになって、いつしか思い込みの中で『(正室亡き後の)正室だ』としての誇りが芽生える。そしてその思い込みに甘んじる。
その間者の娘は母よりは現実を知る存在で、成長して後は尼になって父の供養と母の心の弱さを償い続けた。後の世に物語の滝夜叉姫のモデルになった人さ。
間者は『なんでバチも当たらずに生きのびたのか』と思う者も多いだろう。ゆきさつはどうであれ将門様を好きになった女だからねぇ。神様も将門さまも本当の奥方さまも祟りはしなかったのかねぇ。
この間者は、とある小さな社に本物の正室の生い立ちを記され、正室として祀られているよ。民衆は将門様が妻子を殺されて嘆き悲しんだという話を伝え聞いていたとしても、平安時代は身分のある者は何人も妻があるものだという、おおらかな考えがあったからねぇ。」