狐眷族の憂いに対し、現代人がすべき供養の仕方とは
神主さまやお坊さまに頼むのではなく人間が自分でやる。
まず、願う神社か寺を決める、供養の最終日に行ける距離の所が良い。
家の中からその神社か寺を思い浮かべ、そこの神仏に以下のような願いを【言葉にして言う】。
「○○神社(寺)の御祭神(仏)さま、稲荷眷族の狐さんを元居た神様仏様の元にお連れしたいので○日間(決めた日数)飲み物食べ物を狐さんたちに供えてお慰めします。
○日供養したら○○神社(寺)にお連れするので、神様(仏様)のお使いの龍の背中に乗せて、1匹ももらすことなく元居た稲荷の神様の元にお連れし、人間の為に働いた功績を讃えて、神様のお使いとしての位が上げてもらえるように、よろしくお願いします。」
短冊状の紙に狐の絵を書いて、鳥居と宝珠の形を書いた封筒に入れ、3日~5日のあいだ連続して毎日1回、心を込めて少量で良いので飲み物2種類・食べ物2種類を供えて、最後の日に約束の神社か寺にその封筒を 持って行き、賽銭箱の前で感謝のお金を絵の裏に入るように、封筒に500円玉2枚か1000札2枚を入れて、神様仏様に「お連れしました。お願いします」と手を合わせて、賽銭箱に封筒を入れる。
名前は書いてないから狐の絵が入っていても恥ずかしくは無い。神様は金くれなんておっしゃらないが、狐たちは「俺たち10円かよ」とかひねくれると素直に龍に乗ってくれないので、硬貨の一番大きいのか、紙の金は価値があると認識しているので、そのどちらかを二枚入れる。
霊界では心を込めた2つの物は無限に増える。
少しでも霊感のある人はこの時、龍が来て狐たちを乗せて飛び去った風を感じるだろう。
たったそれだけの真心で、長年の引きこもりや言われの無いいじめが解消するのを、甚六もグラウもたくさん見てきた。
昭和の中頃位までは、民間伝承や拝み屋のアドバイスでこうした『稲荷の眷族返し』は多少のやり方の違いはあるものの、不可思議な障りによる不運を感じた人の、幸せになりたい願いを起動力にして実行されてきた。
たいていは引っ越しや転職・転校といった人間次元の努力も併せて行っての結果ではあるが、何かが起きるのにはどこかに原因があり、そこに結びつく縁がある。因縁因果とはその事だ。
はぐれ眷族のいる家系に生まれるのも、はぐれ眷族が巣喰う土地に住むのも、神仏をおろそかにした先祖や前世があるか、浄化する使命を担っているかだ。どちらも人間の蒔いた種を人間が刈り取る。
この世の理の一つだ。
だから、今回の稲荷の祠を破壊し池を埋めた家族には、その池や祠由来の龍や狐の障りは、狼眷族によって更生霊界に回収されたから無いものの、神仏をおろそかにし、池の生き物を軽んじた『業=カルマ』は負わなくてはならない。
狼眷族『甚六』の想いとは
記憶のある範囲だけでも、徳川様の治世から400年越しで町の人の生き様を見て来たが、たいていの人は苦しいと神仏を頼りにして、物や暮らしが足りると神仏への恩を忘れる。
神様は人が人や生き物や環境を大切にすれば、それは神様がお創りになったものを大切にすることで喜んでくださる。
敷地が寺社だけの採算では苦しくて保育園や幼稚園で占拠されても子供達の元気な声に御心を和ませるのが神様仏様だ。
働く女性の為に寺社の敷地に保育所を建てるべきだ。
法事や葬儀で大量の供物を頂く寺は、それを飲み食いして太るか飾りにして捨てるより、児童養護施設に寄付しやがれ。
豪奢な神社仏閣の造営や、神職でも僧侶でもない者が家族との会話や外出をおろそかにして祝詞や読経に時間を費やす事も神様は悲しまれる。
甚六がつい溜息をつくと、ポッと炎が口から漏れた。