量子力学的“正しい神社の歩き方”

神社

 社会心理学者の八木龍平です。今回のテーマは「量子力学的“正しい神社の歩き方”」です。あ、物理の話は全く致しません(笑)。神社の参拝法です。
 神社の鳥居をくぐるとき、あなたは左側から入りますか? 右側から入りますか? それとも真ん中から入りますか? 足は左右どららの足から入るのでしょうか? ルールではありませんが、神道の習慣があります。

 まず入口で、向かって右側から入るとき、右足から入ります。逆に、向かって左側から入るとき、左足から入ります。
 また向かって右側から入るか左側から入るかは、どちらでもいいですが、向かって左側から入る人が多数派です。向かって左側から入り、参拝後、反対の側(向かって右側)から出ていくのは、筋道の通った意味があります。

 なぜこんな習慣があるのか? それは、境内における「上下関係」に基づいています。神社の内側で「あの場所はこの場所より上位」という認識があり、その上下関係にもとづいて、正しい歩き方のマナーがあります。

 神社の構造を図にしたのでご覧ください。

神社

 まず「ご神座」とは、ご神体の安置されている場所です。外部からは見えないことが大半なので、多くの参拝客が拝む建物の中心にあると思ってください。
 この「ご神座」がいちばん上位で、次にご神座の正面からのびる「正中(せいちゅう)」、正中の次がご神座から見て左側の「左(さ)」、その次が右側の「右(う)」です。かつて朝廷の役職で、左大臣、右大臣、左近衛大将、右近衛大将など、地位に「左」「右」の付くものがありました。これも神社と同じく「左(さ)」の付く地位の方が上位です。

 次に入口でどちらの足から入るかですが、向かって右側、つまり「左(さ)」からはいるとき、右足から入ります。逆に、向かって左側の「右(う)」からはいるとき、左足から入ります。
 その心は、真ん中の正中にお尻をむけないことにあります。
 正中は「神様の通り道」という尊い場所なので、失礼のないようにする配慮です。同時に、「神様がいらっしゃる!」と意識する人があらわれると、「そこに、神様的な何かが生まれる」のです。

「そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、意識の世界では十分アリです。たとえば、量子力学の知見をもとにしたスピリチュアルな言説では「人間の意志と意識が現実を創る」と述べられています。物質や意識の最小単位である素粒子は、人間に観測されるまでは不確定な状態。ですが、人間が観測すると状態が定まります。となると、どう観測するかで現実が変わります。
 私は物理学に不案内なので、文系の物言いをすると、これは「羅生門的世界観」です。芥川龍之介の小説『藪の中』『羅生門』をもとにした黒澤明監督の映画『羅生門』は、ある出来事が登場人物3人の視点で描かれます。同じ出来事なのに、3人の語る現実はまるで違うのがポイント。万人共通の客観的現実は存在しておらず、人間の数だけ主観的現実があるとするのが「羅生門的世界観」です。

 ですから、人間が神様を観測すると、そこに「神様という素粒子」が生まれます。「正中にお尻を向けない」「ここに神様がいらっしゃる」と意識すると、そこに神様がいるという主観的現実が生まれるのです。「正中を神様がお通りになる」と参拝者が意識することで、本当に神様がお通りになられるのです。ひとりの意識よりも、多くの人の意識を合わせた方が、創造される「神様という素粒子」も、より状態がしっかりと定まりそうですね。

 とはいえ、正中をどうしても横切るときが、あるでしょう。その時は「ごめんやっしゃ!」と、15度、腰をかがめて、正中を横切ります。「ごめんやっしゃ!」は声に出さなくていいです。気持ちです(笑)。
 正中の距離は90センチで、だいたい短く3歩ほど。この腰をかがめた歩き方を「屈行(くっこう)」と言います。すると、神様も「おー、そうかそうか」と認めてくださるでしょう。もちろん主観的現実ですが!

 神様素粒子をもっとも創造しやすいのが、長い参道の神社です。
 さいたま市の氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1−407)は、約2キロある日本一の長い参道で知られます。他の氷川神社と区別するため大宮と付くことも多いです。
 主祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)。歴史はおそろしく古く、縄文時代後期・晩期の「氷川神社遺跡」が発見されています。つまり3千年以上も祀られ続けており、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられています。
 氷川神社発祥の場所とされる「蛇の池」は、個人的にすごいエネルギースポット。拝殿、拝殿右の門客人神社・御嶽神社のあたり、拝殿左奥の蛇の池。この3カ所はそれぞれ感じは違いますがいずれも素晴らしいので、機会があればぜひご参拝ください。

 参道を歩むことは、生まれる前の自分に戻ること。人生でつくられた誤った思い込みを取り去ることです。長い参道を歩いて「魂のデトックス」をしませんか? 素直な自分に立ち戻りますよ。

神社
(氷川神社「蛇の池」)



(トップ画像/河口浅間神社)







《八木龍平 さんの記事一覧はコチラ》