感情美人への道Vol.22 ~人へのレッテルを外して本質を見る〜

仕事に限らず、人間関係がうまく行かなくなるケースは、自分がその人に貼った1つのレッテルにずっと固執しているケースが多くあります。そんな時は、椅子を逆さにしたらどんな形になるか想像するように、今迄気付かなかったその人の面を見るよう努力する事が大切です。

Remove someone’s labels and look at the essentials

「バリキャリの女って、自信過剰で何か取っ付きにくいよね」
「専業主婦って、どうでもいい事でいちいちクヨクヨしない?」
こんな会話、耳にした事はありませんか?
その人の一部分だけをピックアップして「あの人って◯○だ」という風に判断してしまう事を「レッテル貼り」と言います。

私たちは普段何百という決断をするので、「適当なレッテルを貼る」というのは、世界をシンプルにして状況を把握するにはとても便利です。でも重要な判断をする時には、この「レッテルを外す」という作業がとても大切になります。

例えば採用面接などで「2年もブランクがある女性は、どうせ使い物にならないだろう」「シングルマザーを雇ったら、子供の事情に振り回されてチームの生産性が下がるだろうな」という具合に十把一絡げに色を付けてしまうと、色々な人材を摂り逃してしまう事になります。
子育てに専念した期間があれば、一日12時間職場で過ごす人には見えない世の中のニーズを把握しているでしょうし、シングルマザーの人なら人生を自分の足で生きると決めた意志の強さ・打たれ強さもあるでしょう。

仕事に限らず、人間関係がうまく行かなくなるケースは、自分がその人に貼った1つのレッテルにずっと固執しているケースが多くあります。そんな時は、椅子を逆さにしたらどんな形になるか想像するように、今迄気付かなかったその人の面を見るよう努力する事が大切です。

 

極限状態に関わらず、
「レッテルを外す」事がとても上手だった人達がいます。

もう400年も前の事。
徳川と豊臣が最後の雌雄を決した「大阪夏の陣」で、敵対した片倉小十郎重綱(徳川方)と、真田幸村(豊臣方)です。

両雄は、道明寺の決戦で対峙します。歴史上は、家康をギリギリまで追いつめた真田幸村の方が有名ですが、重綱も「鬼の小十郎」と恐れられ数々の武功を立てた才気と力を兼ね備えた人物でした。この時は真田勢が押したものの、両者は深追いせずに退却します。

実はこの時、互いに互いの実力を心底認め合っていたのです。

そして、死が間近に迫ったと覚悟を決めた幸村は、子供たちをどこかに避難させようとします。その時託した相手が、敵である徳川側だった伊達家(仙台藩)だったのです。道明寺の決戦で対峙した重綱の勇猛果敢な闘いを見て、自分の子供たちを「この武将になら託せる」と思ったと伝わっています。

幸村は家来に「大阪城が落城した時は、息子の大八と姫君数名を預かって頂き、時を見て真田の名を世に出すお力添えを、お願い致します」という書状を持たせ、前もって陣中に届けさせました。そして伊達家側もこれを了承。

幸村が亡くなる前日に、真田の娘・阿梅(おうめ)は重綱の陣中に送り届けられます。そしてこの全権を委任された重綱は、白石城に帰還する兵に紛れさせて阿梅をかくまいます。そして片倉家に大切に庇護され、重綱の正室が亡くなった後、阿梅は後妻になったのです。

生死をかけた「敵」か「味方」というレッテルが大きく貼られた中で、その人の本質を見抜くというのはなかなかできる事ではありません。しかしこの時に幸村が「重綱は徳川方だからけしからん奴だ!一生許すものか!」と思っていたら、大切な子供たちも幸村と運命を共にして果てたでしょう。

アメリカの児童文学作家シャロン・クリーチの作品“Walk two moons”に次のような文章が出てきます。

”Don’t judge a man until you’ve walked two moons in his moccasins.”
(その人のモカシンを履いてお月さま2つ分を歩くまでは、その人を判断してはいけない)

誰かの事をジャッジしてしまそうになったら、そのレッテルを外すように気持ちを向けてみて下さいね。

 

参照:白石城ミュージアム展示資料 白石蔵王駅展示資料

 

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