Ram Dass
1931年米国ボストン生まれ。元ハーバード大学心理学部教授。60年代後半にインドに赴き、ニーム・カロリ・ババとの出会いでスピリチュアルな訓練を積む。現在は、講演や執筆活動、第三世界への医療援助を行いながら、個人に内在する意識や心の可能性を提唱している。
ラム・ダス インタビュー
Q1.あなたにとってマハラジとはどういう方ですか。
マハラジは、神への入り口でした。私は、彼と初めて対面したときに、マハラジの無条件の愛を体験し、それは私のスピリチュアルなハートを爆発的に開きました。1973年に彼は肉体から去りましたが、それ以降も、日々継続的に彼とは一緒に過ごしており、私がカルマヨガに転向したのも、それの影響です。私は彼を感じることによって、私の近くに彼が存在していることを知っています。彼はまた、私のイマジネーションのなかにも同様に存在しています。彼が私のイマジネーションのなかにいるので、私は彼の言葉を聞き、マハラジは私の人生を導いています。
Q2.”今ここにくつろぐ”こととは、ラムダスさんにとってどのような状態のことでしょうか。
私は、今にくつろいだ状態を、過去や未来に対する思考を排除し、無限であるこの瞬間にとどまることによって、獲得しています。私は、愛にあふれた意識と呼ばれるものの実践によって、スピリチュアルなハート(魂)のなかに生きており、その視点から現在の自分の経験を観察しています(これらの実践において、胸の真ん中をとんとんと叩きながら、”私は愛にあふれた意識です”との言葉を繰り返すことで、私はエゴ(私が自分だと思っているもの)の認識を、スピリチュアルなハートへと変換させました)。
‥‥日本でも今、ボランティア活動が盛んになってきていますが、新しい本『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』で一番伝えたいことは何でしようか。
ラム・ダス
人が他の人を助けたり、もしくは地球を助けたりするのは、様々な理由があります。それはすぐにも関わる必要のあるようなニーズを満たすこともあるかもしれません。でもその中で、深い悲しみの原因に至るような関わり方をしていることは、ほんとに少ないわけです。例えぱ、私があなたに食べ物をあげる時に、私とあなたの間にある分離がもっと広がるような形であげるということも可能です。でもその場合、おなかがいっぱいになっても、あなたのハートは閉ざされてしまいます。ですから、他の人にとって役に立つと同時に、自分自身にとっても役に立つという両方がとても大事だと思います。もし自分がいい人間だということを感じたいために他の人を助けるとしたら、その相手に「自分は助けが必要な人間だ」と思わせてしまうことになります。ところが一番深い真実というのは、私たちはみな助けを必要としており、同時に助けができる人間でもあるということです。ですからボランティア活動をするとしたら、そのプロセスの一部として、自分自身を知るということが必要だと思います。そうすることによって、その人のやり方が、何物にも執着していない場から出てくるということになります。
ラム・ダス 名言
『苦痛は、いったりきたりする多量の思考であるにすぎない』
(出典 言葉の整理と再発見)
“我々はひとりである。ひとつの意識が異なる形をもって現れたにすぎないのだ。”
ラム・ダス 書籍
――そもそもジョブズ氏とどこで知り合ったのか。
コトキ:オレゴン州ポートランドにあるリード大学の1年生の時だ。彼は非常に長い髪をしていて、シャイな学生だった。TEACというブランドの大きなテープデッキを持っていることで、寮中に知られていた。ボブ・ディランのテープもたくさんもっていた。
ラム・ダスの“Be Here Now”という瞑想ガイドの本を彼も私も持っていて、すぐに友達になった。この本をきっかけに一緒にインドにも行った。一緒にキャンプに行ったこともある。彼はコンピューター・ゲームを開発するアタリでアルバイトをしていたので、旅費を貸してくれた。(以下略)
ラム・ダス 体験談
アランのマウイ・リトリートの話に戻りますね。
特別講師として、マウイ在住のラム・ダス氏が招かれました。
実は、わたし恥ずかしながら、存じ上げませんでした。
日本ではあまり有名ではないかもしれません。
60年代のニューエイジ・ムーブメントの火付け役を担った方だそうです。
1時間のレクチャーの後、質疑応答が40分くらい。
なんだか、私は瞳孔が全開になり、全身が喜びにがくがく震えるような感覚に
なりました。実際にがくがく震えたわけではないのですが、
小さな細胞のひとつひとつが振動するような感覚、
そして、魂が喜んでいるのがわかりましたキラキラ
ラム・ダス氏の話の内容に感銘を受けた・・・というより、
氏が放つ、エネルギーに・・
愛のエネルギーに、魂が震えましたWハート
理屈ではないのです。
私は、しっかり受け取ってしまったのです。
至福の経験。
氏の存在そのものが「愛」でした。
そして、私自身も「愛」であったことを思い出させてくれたのです。
グルだグルだ、と言っても、「グル」という言葉を世界に定着させたグルは、元ハーバード大学心理学教授、リチャード・アルパート博士でしょう。博士は、60年代のヒッピー文化の洗礼をもろに受け、インドに旅立ち、ニムカロイ・ババというグルに出会いました。彼は、ババが本物のグルかどうかを試すために持っていた大量のLSDをババに飲んでもらいました。するとババはにこにこと笑ったまま、「ああ、これは、わしの悟りの境地のちょっと下じゃよ」と言いました。そこで博士はババの弟子になり、ババ・ラム・ダスという名前を授けてもらい、アメリカの精神世界のグル的な存在になりました。
ラム・ダスのそんな体験を綴ったサイケデリックな本が「ビー・ヒア・ナウ」です。この本は、当時ヒッピーたちのバイブルにまでなりました。ヒッピー1年生だったぼくも、もちろん影響を受け、ラム・ダスのワークショップに何度も参加しました。でも、参加者が数百人もいて、直接話す機会はありませんでした。
ラム・ダスの言葉に、「精神世界の旅のゴールは、ドラッグでハイになることではなく、今あるがままで、ハイでいることなのです。」というのがあります。
3年前、あこがれ続けたラム・ダスに、ブラジルのアマゾン川のど真ん中、マナウスという町のホテルの廊下で会いました。ぼくは思いきって、「ずっと昔からあなたの大ファンなんですよ」と話しかけました。するとラム・ダスは、顔中に大きな笑みを浮かべ、「それはありがとう」と言って、大きく熱く抱きしめてくれました。
ぼくはわくわくついでに、今がチャンスだと思って、「日本ではオウム報道のため、精神世界に否定的なイメージを持つ人が増えました。もしラム・ダスから日本の友人たちに提言をもらえたら嬉しいのですが」と聞きました。彼は「私のハートの中でその質問をよく温めてみますから時間をください」と言いました。 数時間後、レストランで会った時に、ラム・ダスは、その答えをくれました。
「覚醒への旅のある段階では、他の人々と体験や修行を分かち合うのが役に立つことがあります。しかし究極的には、人それぞれの魂や神といったものと向き合わなければなりません。日本人はスピリチュアルな体験に対して、非常に多くの純粋な憧れを持っていると思います。ですから、今回の傷も時とともに癒されてゆき、日本に新しい愛の時代が来ると信じています。」
そのラム・ダスが2年前、心臓発作で倒れ、再起が危ぶまれました。一生を他人を助けるために捧げたラム・ダスはその時、自分の治療費も払うお金もなかったのです。ニューエイジ・マガジンに、「ラム・ダスは私たちに数え切れないくらいの贈り物をしてくれました。今度は彼に少しでもそれをお返しする番です」と心を打つラム・ダス特集が載っており、医療費募金をしていた。ぼくはついつい目に涙を浮かべながら、寄付をしてしまいました。
一番新しいニュースでは、ラム・ダスは世界中の人々からの祈りが通じたのか奇跡的に回復し、車椅子に乗ったままワークショップをはじめたそうです。(写真はつい最近、ラムダスのオフィスから送ってきた近影です)
(出典 グル巡り)
Ram Dass