北イタリアの奇跡!サンタントニオ聖堂に眠る英雄とは?

北イタリアにまつわる聖なる歴史をご紹介!

初めまして、第一回目の投稿となる大西枝美です。
この度はTrinityWeb連載を機会に読者をはじめ たくさんの方々と関わりが持てた事に大変感謝しております。
ではさっそくですが、みなさん「サンカルパ」という言葉を聞いた事がありますか?
これはヨガの言葉で、Spiritual Intention – 心から生まれる深くて純粋な意志や目標という意味があります。いわゆる願い事みたいなものなのですが、サンカルパは絶対に叶うので、何をお願いするか慎重に決めなければいけないと言われています。
私は毎朝ヨガや瞑想を行う前に少し気分を落ち着けて、内から沸き上がってくるサンカルパに耳を傾けます。そしてその日の練習をそのサンカルパの成就の為に捧げています。 実はそのサンカルパの1つであった「連載の機会に巡り会うこと」がこうしてTrinityを通じて叶ったのです!
これからは私の住むイタリアの情報は元より、旅先での体験談やヨーロッパ全般の情報をお伝えしていけたらと思っています。

 

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  サンタントニオ聖堂内部

イタリアは国民の約80%がカトリック教徒の国で、各都市には守護聖人とされる人がいて一番大きな寺院に祭られています。私の住む北イタリアの町パドヴァの場合、聖アントニオとサンタントニオ聖堂(トップ写真)がこれにあたります。
聖アントニオは1191年ポルトガルのリスボンに産まれ、その後パドヴァにやってきました。市内の聖マリア・マテル・ドミニ教会の修道院に暮らしながら、精力的な説教活動を行いました。その間に溺死した女性や子供を生き返らせたり、嫉妬に駆られた夫に刺された妻の傷を癒やしたり、切断された若者の足をまたくっつけたりという数々の奇蹟を行ったそうです。そして1231年にアルチェッラ聖所記念堂、元の聖マリア・デ・チェッラ修道院で四十年の生涯を閉じました。亡くなるとすぐに遺体のまわりで奇跡がおこり、1932年に教皇グレゴリウス九世に列聖されて聖人になりました。奇蹟が起きるとは、巡礼者が集まり、寄付が増え、教会の権威も高まるというもの……そこで、この遺体を返還してもらいたいと、彼が生前暮らしていた聖マリア・マテル・ドミニ教会が抗議します。金のなる樹である聖人の遺体を巡って、死んだ場所である修道院と、本人の暮らしていた教会が争うことになり、その結果1263年の春に聖アントニオの遺体は、聖マリア・マテル・ドミニ教会に引き取られ、教会の横に彼の棺を納める為に建てられた巨大な聖堂-サンタントニオ聖堂に納められました。
現在、聖堂内に安置されている聖アントニオの棺に触れようと、ヨーロッパ全土から集まる巡礼者で教会は溢れています。

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ヨーロッパには漢方やハーブを中心とした薬局「エルボリステリア」が沢山あるのですが、この聖堂の一角にも聖堂オリジナルのエルボリステリア「エルボリステリア•デル•サント」があり、イタリア全土で作られたナチュラルメディスンや、自然化粧品、パドヴァの名物菓子が購入できます。
聖堂の裏側には世界遺産に登録されているパドヴァの植物園もあります。
ここで緑に囲まれながらお茶をするのが私の楽しみの1つです。