第三章 光る源氏の物語
第一段 若宮参内(四歳)
月日がたって北の方のお許しがあり、四つになった若宮が、参内されました。
若宮はたいへん美しくご成長され、この世のものとも思えぬそのお姿は、不吉に感じるほどでした。
明くる年の春に東宮をお決めになるときに、帝は、若宮には第一皇子の身分を超えさせたく思われましたが、立派な後見人が現れることはありませんでした。
世の人々も受け入れることはなかったものですから、若宮を東宮にするなど、なかなか難しく思って、慎まれました。
そのお心を顔に出すこともできずにいらっしゃったので、「あれほどご寵愛されていても、限界があるものだ」と、人々の噂になりました。
第一皇子が東宮にお決まりになったことで、母である弘徽殿の女御は、落ち込まれることはありませんでした。
若宮の祖母北の方は、慰める方もなく孤独に沈んでいらっしゃいました。
亡き娘のところへ尋ねてゆきたいと願ってやまず、とうとうお亡くなりになってしまいました。
帝は、北の方の死によって、ひどく悲しみに暮れられました。
このころ六つになられた若宮は、この度の死の意味をお知りになり、祖母のことが恋しくて、泣かれました。
桐壺が亡くなってから、若宮といく年か慣れ親しんでおられた北の方は、さまざまなことをお考えになって、若宮の参内を許されたのです。
帝は、北の方の行き場のない悲しみを、返す返す若宮に言い聞かせていらっしゃいました。
(画像出典:Wikipedia)