第二段 靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)の弔問
「命の長いことがたいへん辛いことをわかっていただけず、若宮の参内をいまだに待たれていらっしゃるのは思わぬことでした。
ですから私は、恥ずかしく思っております。
若宮と共に宮中に仕えることに、たいへん恐縮しております。
恐れ多いお言葉をたびたび承りながら、私はみずから参内を決断することができません。
若宮は、どれほど帝のお思いをお知りでしょうか。
若宮を参らせることを急いでおられるのを思うと、私が悲しいお断りをしているのはわかります。
ですから内々に、私の思っていることを帝に奏上してください。
宮中で高貴な若宮にお仕えするのは、私のこのような身で、忌ま忌ましくかたじけない思いなのです」
と、おっしゃいました。
若宮は、大殿にて眠っていらっしゃいました。
「若宮を拝見させていただき、くわしい状況もお伝えしたく存じます。
若宮がお見えになるのを待っていることもできませんし、夜更けまで仕えることもできません」と、命婦は急いでいました。
「暮れまどう闇に耐えがたい、私の心の片隅を、晴れるまであなたに聞いていただきたいのです。
私にも心の平穏が訪れるまで、おおきな気持ちでいていただきたいのです。
長年、うれしい行事のついでにこちらへ立ち寄っていただきました。
娘が亡くなる不運にみまわれてからは、返す返す、私もままならぬ命で生きております。
娘は生まれつき筋が良く、父の大納言が、臨終の際まで、『この娘の宮仕えへの本意を必ず遂げさせてほしい。私が亡くなっても、その思いを捨てないように』と、何度も遺言をおっしゃいました。
大納言が亡くなって私だけになり、立派な後見人もない宮仕えでは、なかなか成せるものではないとは思っておりました。
私は、ただあの遺言のとおり、一心に、娘を後宮に出させました。
帝の身に余るほどのご寵愛には、恐れ多い思いがございました。
人には言えぬ自慢を隠し、帝に交わっていただいて、人の嫉みが深くつもりました。
娘は、心おだやかでないことが多くなりながら、帝にお仕えしつづけました。
ときには普通の病ではない様子でこちらへ顔を見せ、ついには宮中で亡くなってしまいました。
宮仕えのために大切に育てた娘が、お上から亡骸として帰ってきて、辛くなりました。
娘へのご寵愛もさることながら、若宮の参内を仰せになっている帝のお気持ちを、恐れ多く思い、そのお心をお察し申し上げます。
しかしながら、娘の形見の若宮を参上させることにかんしては、まだ気持ちを割り切ることができないのです。
これが、娘を亡くした私の、心の闇なのです」
北の方がむせ返りながらそのお心をおっしゃるうちに、夜も明けてしまいました。
(画像出典:Wikipedia)