“利他の心”を実践しようと思ってみて、ふと疲れてしまうことはありませんか? 抱きしめる聖者アマチ(母という意味を込めてアンマと呼ばれています。この後はアンマとお呼びします)は、利他の心そのものですが、私たちは、彼女の霊性のレベルにはありません。“優しくなりたいけれど優しくなれない。もう心が一杯一杯です”。そんな悩みを、アンマの直弟子であるシャンタジ(Br.シャーンタアムリタ・チャイタンヤ)さんに相談してみました。
————————————————————————–
電化製品、例えば携帯電話にも電池がどの位残っているのか、というメモリがありますよね。あと何%って。しかし、我々の精神力にはそのような表示はないので、急にもう精神力が持たないということに気づくことがあります。そうするともう行き過ぎてしまっている訳ですね。その原因の一つとして、最近は自分自身への気づきが少なくなっているということがあるかもしれません。結果、やり過ぎ、頑張りすぎて疲れてしまう人もいますよね。特に真面目な日本人には多いように感じます。ですから、内側のバランスを大事にして心のバッテリーが急に電池切れにならないように、内面に意識を向けることがとても大切だと思います。
何がやり過ぎなのか? 大事なのは、心を節電モードにすることです。
一日の大半を節電モードではなく、雑念、心配事、エゴにとらわれて放電モードになっている人も多く見受けられます。そういう場合、本来やるべきことをしていなくとも疲れている場合も多く、エネルギーを浪費しているので、すぐに電池切れになるわけです。放電モードになる場合は、精神的なキャパが少ないケースもあるので、さらに心を放電、つまり散漫にしないことが重要です。
そのようにならないために、瞑想や静かな時間を持つことも大事です。
他者の心のSOSに気づく事が出来ないばかりか、自分の心がSOSを発しているのに、本人が自分のマインドに気づいていない、自分の心のケアをしていない人がいます。自分の心に対する気配りが可能になれば、日本の将来は明るくなると思います。心のケアを第三者からしてもらうのはありがたいことですが、究極的には自分自身でできることが大切になると思います。心のケアの一つとして、瞑想をすること自体が一般的になるととても良いと思います。昔の伝統には、座禅などもありますよね。その伝統が戻ってくると、自然と気づきが深まると思います。
ひとりの時間を持つことも重要です。2人以上人が集まれば、それは人ごみです。ですから、例え家族と暮らしていても、夫が出かけた後の5分、子供が寝た後のほんの数分でも一人になることが必要です。そうして、心に静けさを取り戻すのです。ひらめきに時間はかかりません。それは一瞬の出来事です。長い時間一人になれなくとも安心してください。孤独を恐れる人もいますが、ひとりの時間を持つことは孤独ではありません。
そのようにすることで、何もしていなくても疲れてしまうという放電モードから節電モードにシフトすることができるわけです。
心が散漫にならなければ、もっとエネルギーを感じることができるでしょう。もっとやりたいことができます。燃え尽き症候群にもならないかもしれません。
燃え尽きてしまって二度とやらないというよりも、継続することを考えてみませんか? ダッシュではなくてマラソン。これからの日本の在り方だと思いますので、精神的なマラソンのやり方をぜひ学んで欲しいと思います。
アンマ来日2015は本日まで! 東京、平和島流通センターにて開催されています。