苦からの解放/「正見」てなんだ? 前編~梵字画家と歩く仏教小径

ひとつひとつの感情そのものに、良い悪いといった性質はない。 ジャッジをしなくなると、その感情が湧き上がってきたことを認めることができ、結果、自分の心の中で何が起こっているのかを「感じ、観ずる」ことが楽にできるようになるのです。

【その痛み、抱え続けるのをやめましょうよ】

「美容院のカラー剤やパーマ液で頭皮に激痛が走る」という美容師さんに、先日カットとカラーをしてもらいました。

私自身もこのところ頭皮の調子がよくなくて、その旨を美容師さんに相談したところ、ご自身もそんな状態だそうで。
保護剤やケアについて研究者と呼んでもいいかもしれないというくらい詳しい方で助かりました。
いつ頃その痛みが出るようになったのか聞いてみたら、彼は、高校生の頃からカラーやパーマをするたびに頭皮に激痛が走っていたとのこと。
しかも、カラーやパーマはしたかったので、ずっとその痛みに耐え続けていたんですって! なんで?????

それは、「自分だけが感じている痛みだとは知らなかった」という理由から。カラー剤やパーマ液を使うとそうした痛みがあるということが、当たり前なのだと思っていたのだそう。
芸能人やモデルなど、おしゃれをしている人たちはみんな、この痛みに耐えてあの髪形をしているんだと思っていたと言うんです。笑えない世界観です。笑ったけど。

この痛みは自分だけの固有の感覚なのだと知ってから、低刺激の薬品を探したり、頭皮の保護剤を試してみたりといった試行錯誤を始めたそうです。

その痛みが自分固有の感覚であるとの認識から、痛みからの解放が始まるように、苦からの解放も、苦の認識から始まります。
そのために、八正道(はっしょうどう)の実践をしましょうとブッダは言います。

 

【八正道を実践するってどういうこと?】

八正道を実践するとはどういうことでしょう?
ブッダ、プリーズ。

「日々の生活の中で起こる出来事や自分自身の心の動きに対して、この八正道で伝えるやり方をあてはめていくことを『八正道の実践』と言います。八正道の実践をする過程で少しずつ、苦しむことが減っていく。それが、『苦を滅する』ということであり、『苦から解放される』ということなのです。このプロセスを踏んでいくと、中道を歩むことができるようになるのです」

わかりました~。

この八正道のうち、すべての道の元となるのが『正見(しょうけん)』=「正しい見方でものごとを見ること」です。

 

【正見実践ステップ1:『四諦(したい)を理解しよう!】

正見を実践するためにはまず、『四諦(したい)』を理解すること。
四諦の諦は「あきらめ」という字ですが、仏教で使われる「諦」の字は、「ものごとの本質を明らかにする」「真理」という意味です。

ちょっと言葉は難しいですが、そのまま紹介しますね。
①苦諦(くたい)。この世は苦であるという真理。
②集諦(じったい)。苦の原因が煩悩や執着(つまり心が原因)であるという真理。
③滅諦(めったい)。苦の原因を滅するにはどうすればよいかという真理。つまり、執着を断つことが苦しみを滅するさとりの境地に入ることであるという真理。
④道諦(どうたい)。さとりに導くにはどのような実践をすればよいかという真理。つまり、八正道のこと。

……難しいですブッダ。
やっぱりわからないですこれじゃ。
もっとわかる感じで教えてください。

「つまり、『肉体で生きている限り苦の発生のもとになるものはなくならないからさ、そのもとをどうにかするんじゃなくてさ、それを苦とするかしないかは自分次第だからさ、自分の心の中をきれいさっぱりにしようよ、八正道でさ』ということです」

おお~、なんかフレンドリー。わかる。ありがとうブッダ!

 

【正見実践ステップ2:ジャッジをしないで自分の心を見てみよう!】

苦しんでしまうのは自分の内側=心が原因。となると、「心を感じ、観ずる」ということが必須となります。
この「心を感じ、観ずる」ことをするためのポイントは、感情を「ジャッジしない」ということです。
それはどういうことかというと、何かを目にした時や体験した時に湧き上がってきた自分の感情に対して、良いとか悪いとか、ポジティブとかネガティブとか、正しいとか正しくないといった判断を下さない、ということ。

喜びや楽しさといったものは良いもので、怒りや悲しさ、みじめさといったものは良くないもの。そんな風に私たちは知らず知らずのうちに自分の中に湧き上がる感情を仕分けして、わりと無意識的に良くないものはせっせと箱詰めしてしまいます。

例えば「怒り」。
怒りの感情そのものには良いも悪いもありません。
けれどこの怒りの感情が湧き上がると、思考がそれを悪いものとジャッジしてしまう。
怒りが良くないものに仕分けられてしまうのは、怒りが湧いた時の処理方法が、相手を批難したり罵倒したり、時には暴力をふるったりといった攻撃性をはらんでいるから。処理の方法が間違っているだけなのに、怒りという感情までもがセットでダメなものだとジャッジされてしまう。
こうして、怒りが仕分けの対象となってしまうのです。

ひとつひとつの感情そのものに、良い悪いといった性質はない。
ジャッジをしなくなると、その感情が湧き上がってきたことを認めることができ、結果、自分の心の中で何が起こっているのかを「感じ、観ずる」ことが楽にできるようになるのです。

 

【正見実践ステップ3:当たり前は本当に当たり前なのか?】

ここで、最初の美容師さんの話に戻ります。
彼が痛み(苦しみ)から解放されるプロセスは、美容学校に入り、みんなは頭皮の痛みを感じていないという真実を知ったことから始まりました。
「この痛みは自分だけが感じているものだった」という真実を知ったのです。

彼はずっと「カラー剤やパーマ剤は、等しくすべての人々に、頭皮に痛みを生じさせるものだ」という世界観の中にいました。
なので、ずっとその痛みに耐えるという選択をしてきたわけです。
けれども、真実は違うということを知りました。

正しい見方の始まりはまず、自分が当たり前だと思ってきたことが本当に当たり前なのかどうかを疑うところから始まるとも言えますね。

さて、ステップ3までで、やっと正見を実践するための準備ができました。

次回、「正見」後編です。

 

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