私たちはなぜ苦しむの? 因縁と諸行無常~梵字画家と歩く仏教小径

ブッダは、すべてのものは生まれたら消滅するという「変化」が大前提なのに、「常に変わらぬものであって欲しい!」と思う自分自身の心が苦の原因を作り続けていることを認識しました。

【教えてブッダ、私たちはどうして苦しむの?】

連載の内容を仏教にすると決めました。

そう決めた当初は「教義とか宗派とかタブーとか作法とか、そうしたことにあまり細かくこだわらず、一緒に散歩しながら景色を眺めてあれこれ語らうみたいな気楽なものにしたいな」と、それこそ気楽に考えていたのに、いざパソコンに向かったらとたんに「うまく書きたい」とか「キャッチ―な内容にしたい」とかいうことに心が囚われてしまいました。
『ブッダの教えを、コラムを通して伝える凄腕伝道師』的な自分(笑)。
自意識の罠にはまってしまうともう、何をどう書いてもピンと来なくて……。
こういうループにはまった時には、あれだ。ブッダを呼ぼう!

「ブッダー、ブッダ? どうしたらいいコラム書けますか? 問題ではなく、答えをください」
すると、現れたブッダはこう言いました。
「その煩悩を、手放しなさい」

「煩悩? なにが煩悩? ブッダ、そうじゃなくて、トピックとかプリーズ」
と、一瞬反抗的な態度を取ってしまった私でしたが、わかっています。
煩わしい悩みと書いて、煩悩。
そう。私の「うまく書きたい」「キャッチ―な内容で万人にうけたい」は、承認欲求という名のガチの煩悩でした。

ブッダはとてもシンプルに、そして歯に衣着せぬ物言いで、こんな風に私たちに真理を教えてくれます。

 

 

【苦しみを作り出しているのは自分自身】

他人から見られている自分をよりいいものに見せたいなどという思いは、多かれ少なかれ誰もが持ったことがあるのではないかなと思います。
しかしこの「自意識過剰」は、本来そこになかった苦しみを生み出します。

「苦しみたくない」「苦しむことはイヤだ」と言いつつも、実は私たちは気づかぬうちにこの苦しみをせっせと作り出しながら生きています。
苦しみを作り続けているという自覚さえない、ということもあります。
「苦しみを乗り越えられない自分はダメな自分」と自己攻撃をすることも、更なる苦しみを作り出す行動です。

 

【因縁と諸行無常】

この苦しみの生産から解放され、誰でもが心安らかな境地に入ることができるのだということを発見し、生涯をかけてそのことを説き続けた人が、ブッダです。

すべてのものの実相というのは、原因である因と、条件である縁とが作用しあって現象として現れるもので、それらは関係性の中で生起し、消滅することを繰り返す。
このことを、ブッダは菩提樹の下で悟りました。諸行無常、という宇宙の真理を悟ったのです。

ブッダは、すべてのものは生まれたら消滅するという「変化」が大前提なのに、「常に変わらぬものであって欲しい!」と思う自分自身の心が苦の原因を作り続けていることを認識しました。
この『因縁=諸行無常』という真理を知ろうとしない、受け取ろうとしない心の闇を『無明(むみょう)』と言い、それが苦しみの始まりなのだと彼は説きます。

この「生じ、滅すること」=「うつろいゆくこと」=「変化」に対しての私たちの拒否感は結構すごい。
健康、若さ、友人との関係や恋人・配偶者とのパートナーシップ、家庭や職場における役割や役職。
それが今の自分にとって素晴らしいものであればあるほど、「このしあわせが永遠に続きますように……」という執着が生まれる。

無明を自覚し、諸行無常を理解し、「そうあり続けたい」「あり続けて欲しい」という常住への執着を手放すこと。
それが苦しみから解放される方法なのだと、ブッダは説いているのです。

次回、ブッダが教えてくれる「苦からの解放の方法」を更に詳しくご紹介いたします。