新・神々の履歴書 — 日本の神様の起源⑤ 隕石とは何か? 空から落ちてきた女神 — 瀬織津姫〜後編

彼女の神殿は、海辺の第1神殿、離れ島の第2神殿、海底の第3神殿からなっています。
この形の神殿は、串本にもあったはずです。
近畿地方の、南端と北の端に対にあったのですが、どちらも地震と津波で崩壊してしまいました。
広島の宮島、九州の宗像神社、仙台の塩釜神社も同じ構造なので、彼女の神殿なのかもしれません。
ちなみに、天橋立に祀られていた女神は、地震で水没後京都の松尾大社に勧請されたようです。
盆地にある松尾大社の神使(しんし)が亀なのはそのせいでしょう。

 

テティス海に落ちた女神

さて、この女神は地球のどこに落ちたのでしょうか?
ビジョンの女神は、羽衣をまとった東洋の天女風のいでたちでしたが、クライアントからの答えは意外でした。
「中近東の辺りの地図が浮かんだのだけど、地中海の形が今と違うんだけど……」
たぶん、サハラ砂漠がまだ海だった、テティス海だった時代の地中海です。

ここで、クライアントのビジョンと私の経験値がリンクしました!
彼女のオーラにいるエネルギー体(女神のことです)は、サハラ砂漠でとれるある隕石にずっと反応していたのです。
隕石が落下した場合、かなりの広範囲に飛び散ります。
例えば、チェコのモルダバイトは、南ドイツのネルトリンゲンに落下した隕石の破片といわれています。
空中分解した場合は、さらに広範囲に散らばります。
また、違う時期におちてきても、母星が同じならば、エネルギーは同じはずです。

サハラ砂漠でとれる隕石は、単なる破片かもしれません。
もう少し広くこの女神に該当する方を探してみましょう。

中近東で、この女神に該当するのは、メソポタミアの水と繁栄の女神イナンナとその姉、黄泉の国の女神エレキシュガルではないかと思います。
瀬織津姫が三位一体であるように、この女神も二位一体です。
かつて速開都姫が祀られていた串本には、補陀落渡海といって、海に男性が身を捧げる風習が残っていました。

これは、古代中近東で広く行われていたイナンナの聖婚(イナンナに男の生贄を捧げる)の名残ではないでしょうか。
黄泉の国の女神とししてのイナンナに捧げられたのです。

 

速開都(はやあきつ)姫は、イナンナの水の女神としての側面
豊受大神は、イナンナの豊穣の女神としての側面

速開都姫は、大和朝廷伝来以前の縄文の民が祀っていた女神です。
ところが、不思議なことに、大和朝廷もまた、同じ女神を祀っているのです。
なぜ征服した民族の神をあえてまつったのでしょうか?

大和朝廷は、多神教時代のユダヤの伝統を持つ人々でしたので、日本に来る前から、イナンナをはじめとする古代オリエントの神々を祀っていました。
旧約聖書は本来、様々な神々が登場していましたが、後ほど一神教の教義にあうように、書き換えられたのです。

大和朝廷が日本にやってきたとき、この国に彼らと同じ女神が祀られていることを知って、たいそう驚いたことでしょう。
天照大神が、懐かしく思って、伊勢に招きたくなるのも無理はありません。

(画像提供/得北〈とくきた〉

先日、北海道に落ちてきた方はどんな方なのでしょうか。
穏かな性質の方であればいいのですが……このお話は、またの機会に。

マユリ

*次回は「ビジョンは本当なのか?」日本に現れたエジプトの神々

 

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