神々の履歴書第10回 人を呪わば穴二つ— 前世の因果で結婚できない人

くれぐれも、人を呪ったり、遊び半分で、呪詛まがいのことをしないようにしてくださいね。

HOW TO 呪詛 ……呪術者と呪詛神のコラボレーション

では、呪詛とはどうやってするのでしょうか? もちろん、私も習ったわけではないので(笑)ビジョンで見たことをお伝えします。

呪詛とは、呪術者と、呪詛神のコラボレーション(共同作業)です。

呪詛神が強力な破壊力を持つ核弾頭なら、呪術者はステルスミサイルです。
爆弾の威力は凄まじいですが、闇雲に撃っても効果はありません。正確に標準を定めて、発射することが必要です。

その標準を定める作業が、呪術者の仕事です。
彼は、呪殺する相手に念を定めます。
いわゆる「ロックオン」です。
そして、発射。あとは、呪詛神の仕事です。
ロックオンされた場所に飛んで行って呪殺します。
つまり、事を成すのは、彼ではなく呪詛神=その寺な場合は観音様(内実は黒きインドの女神)なのです。

もちろん、いつも観音様というわけではなく、呪詛により呪詛神が違います。

「え? 観音様が呪詛?」て、思われるかもしれません。
いろいろな観音様があちこちに祀られていますよね。みな同じ観音さまでしょうか? いいえ、実は、様々なのです。

本来、仏教の観世音菩薩は男性です。ですが、多くの方にとって、観音様というのは女神のイメージではないでしょうか? ある水の女神が、観音様や弁天様として祀られていることがよくあります。
このお話は、また別の機会にいたしましょう。

 

生霊か? 呪詛か?

「他人の生霊で悩んでいる」とか、「妬みや恨みが飛んできて、体調が悪くなる」といわれる方がいます。
念のためリーディングしますが、人の念など知れているので、そんなに恐れることはありません

でも、呪詛神は違います。
破壊力が人の念とはスケールが違うのです。

藁人形に五寸釘をうつのは、なぜ神社の境内なのでしょうか? それはそこに祀られている神様を呪詛神とするためです。

呪詛神と、呪術者は契約関係にあります。
意図した相手を呪殺する代わりに、呪術者が死んだあとは、呪詛神のものとなります。
つまり、自分を捧げる代わりに、誰かを呪詛してもらうのです。
まさに、人を呪わば穴二つ……いうまでもありませんが、絶対に関わってはなりません。

 

おびただしい数の式神

さて、前世の彼は、その後、寺を出て修行の旅に出ます。
日本中の行場をめぐって、ひとつひとつ霊体を感得していきます。
たとえば、ある滝で修行して、そこにいる竜を自分の式神(呪術者が自分の霊力で操る霊体)として降ろします。
こうしておびただしい数の式神を身に纏っていきます。

腰には、蛇のベルトをして、頭の横には、竜が2頭とんでいます。
天狗もいます。
彼女に、急性霊障の症状をもたらしたのは、こうした式神たちなのです。

旅の途中、ある町娘に親切にされ、彼の心に残ったようでした。それが前世の彼女です。
しかし、女は修行の妨げです。(女性と交わると、霊力が消えると教えられているようです。)最後は、僧兵として合戦に参加して、船の上で亡くなりました。
死の直前、誰でも一生が走馬灯のように見えるといいますが、彼は、自分を取り囲む式神・魔物たちを、その時初めてはっきりと見ました。
そして、死を迎える彼に一斉にせまってくるところで、ビジョンは終わりました。

 

生まれ変わっても式神はついてくる

前世の彼が呪術者だったことはわかりましたが、今の彼は、ふつうのサラリーマンで、格別呪術の心得があるわけはありません。
にもかかわらず、前世で感得した式神たちは、生まれ変わった現世の彼にも、すべてそのままいるのです。

ほかの方の前世にも、同様のことがありました。

一つは、魔女裁判で死刑を宣告される前世でした。
牢獄の鉄格子の窓に、ゴブリン(西洋の小悪魔)が座っています。
小さい時孤独だった彼女は、いつしかこのゴブリンと友達になり、ゴブリンの力を借りてお告げをするようになりましたが、それがもとで魔女として処刑されるのです。

別の前世では、彼女は日本の陰陽師でした。あれ? あのゴブリンがいます。和風の着物をきて、今度は、式神をやっています。

現世の彼女にも、もちろんいます。石をおくと、彼女の左の太ももに、いつもゴブリンが現れます。彼女はチャネリングが大好きで、高次の存在と話しているつもりですが、実際は、ゴブリンと話しています。
残念なことに、本人は自覚していません。

こういうふうに、一度感得した、式神=使い魔は、生まれ変わっても離れずについてくるのです。
その関係は、本人が意識して断ち切らない限り、続きます。

もちろん、生まれ変わった本人は、彼らがいることに気がついていませんし、使いこなす呪術も忘れてしまっています。
ただいるだけならばいいのですが、何かの拍子に発動すると、やっかいなのです。