ラダとタントラライフのグループを通して体験したことを言葉を使って表現するのはとても難しいです。
タントラは「セックス」と「死」に向き合っていきます
どちらも無意識にタブー視され、こどもの頃から、おとなに直接聞いてはいけないことなのだと自然に刷り込まれていった人も少なくないでしょう。
「頭ではわかっているけど動けない」という現象が、現代人にあまりにも多いのは、セックスと死から目をそむけ、魂と身体が完全に切り離れてしまっていることの悲しい現象ともいえます。
そんな深刻な現象とは対照的にラダとの体験は常にユーモアに満ち、笑いが絶えません。
その中でも印象深かった体験は、彼女に出会ってから1年後でした。
瞑想とダンス、ラダの作り出す遊び心に満ちたワークを続けた1週間目の朝、日常生活では常にうるさくて休むことのない頭の中が水を打った様に静まり返りました。
そこで目の前に灯されていたキャンドルの小さな炎と出会いました。
なんだかキャンドルの炎と出会ったなんて怪しげな表現の様な気もしますが、まさにそのキャンドルの炎はその瞬間からまるで私の身体とつながっているかの様に動き、自分がその小さな炎とどんどん一体化し、身体の中に動くエネルギーと目の前のキャンドルの炎の境目など存在しないかの様な感覚だったのです。
その感覚はなぜかとても懐かしく、柔らかく美しいものでした。
そのまま、足が向くまま庭に出ると今度は、風がなびくたびに動くたくさんの木々や花々と溶け合っていくのを感じました。
自分はこの大自然の中の一部だったのだという喜びが細胞の一つ一つから溢れ出し、その瞬間、ひとりで裸足で地球に立っているのを実感しました。
それは私にとって生まれてはじめての体験であり、長い間待ち切望していた感覚でもありました。
ラダは、感極まって泣いている私に気づき、茶目っ気たっぷりに笑って頷き「幸せなのね」と言いました。
その1週間目の朝がやってくる数日前に彼女は、私が、常にグループの中で少し俯瞰した立場をキープしていることを見抜いていました。
「ここではね、ひとりの女の子でいてちょうだい。
そして、欲しいものがあったらしっかり見なさい。
うつむいたり目をそらしたりしていてはダメよ」
と彼女は言ってその時も笑顔でウィンクしました。
わたしは大地から天へと働きかける。
まず人々の肉体的なエネルギーを地に付かせて、根付かせる。
特に脚や足のエネルギーを。
それがチャクラを通って、上へと昇っていく。
種にセックスとチャクラとハートのチャクラに焦点を当てる。
人々が自分のエネルギーの目覚める様に手助けをし、そのエネルギーに出来るだけ主導権を握らせなさいと彼らを励ます。
(引用ータントラライフ ラダ著)