ツインソウルという言葉のひとり歩き—ツインソウルへの幻想から見えてくるもの—

そもそも、魂は天界で嫌ってほど「至高の愛」だの「無条件の愛」を体験しているんですよ。 あえて魂を分けてまで地上に降り立って、「至高の愛」だの「無条件の愛」を貫く必要はないんですよ。

こんにちは、よいぼしのなぎうたのkinaです。
数年前から「ツインソウル」という言葉を目にすることが多くなりましたね。

「魂の一卵性双生児」を指す言葉です。
「魂が分かち合って生まれてきた運命の相手」……恋愛でそんな相手がいることに以前は憧れていましたけど、自分で調べたり、お客様との占いを通して実情を知ってからは「ぜってーやだ。ツインソウルと間違っても夫婦になんざならねぇ、なりたくねぇ」って思ってます。
最近知ったのですが、恋愛や夫婦関係よりも不倫関係のカップルで「ツインソウル」という言葉を使う方も多いらしいですね。
「ツインソウル」って一見ロマンチックな関係性に見えますし、特に恋愛に関してそう捉えている方も多いかと思いますが、詳しく調べてみたら実態は全く違います。

 

ツインソウルは破れ鍋に綴じ蓋ではない⁉︎ 破れ鍋と破れ鍋、綴じ蓋と綴じ蓋を愛せるか?

ツインソウルのお二人の面白いところは、例えば「料理の本」「ペットの飼い方の本」のような、ジャンルがある程度決まっているけど、詳細はその人任せなものをお互いに買う時に、示し合わさなくても同じものを買ってしまうことが多いんです。
それでお互いに「何やってるんだろ……」と思うところまでがお約束らしいです^_^;

「ツインソウル」というと、「割れ鍋に綴じ蓋」的なものを連想していたkinaですが、実際は全然ロマンチックなものではなく「破れ鍋に破れ鍋」「綴じ蓋に綴じ蓋」になる関係性なことが多いらしいです。
「魂の一卵性双生児」というだけあって、あくまで相手は自分自身の投影で、どこまでいっても自分自身を映し出す鏡のようなものです。

相手に補完性を求めるなら、まず自分が相手を補完していくことが求められるみたいですね。
ご本人が自分のことを大切に思えるなら、ツインソウルもその方のことを大切にしてくれるんですが……問題は、ご本人が自分のことを大切にできてない場合です。
魂の一卵性双生児たるツインソウルは、しっかりとその「見たくない自分自身」を投影しちゃうんですよね……。

「見たくない自分自身」を投影することで、ツインソウルは相手に「汝自身を認め、愛せよ」ということを教えてくれているのですが、そのことがわからずにツインソウルに憎悪の感情を抱く方もいます。
当然ですよね。
目の前にいるのは顔形が少々違う「見たくない自分自身」なんですから。
そんなわけで、ツインソウル同士の学びって、カップルであってもなくてもものすごく強烈なんですよね。
占いで見てても「うわぁ、こりゃ大変だわ……がんばれ」と思うことはよくあります。

 

ツインソウルが地上にやってきてまで至高の愛を貫く必要があるとしたら……? そこから見えてくる、ツインソウルの本質

そもそも、魂は天界で嫌ってほど「至高の愛」だの「無条件の愛」を体験しているんですよ。
あえて魂を分けてまで地上に降り立って、「至高の愛」だの「無条件の愛」を貫く必要はないんですよ。
そんなものは時間の制約すら受けない天界で散々やりゃあいいんですから。
それなのに、あえて地上に降りるってことは何をするためだろうか、ということを考えたら、ツインソウルのからくりの本質が見えてくるように思います。

少なくとも、愛以外の別のことをする、ってことになりますよね?
愛以外の大変なこと……といったら、大抵は試練なんです^_^;
ツインソウルは大抵、その人が一番大変なところにやってくることが多いんです。
……となると、ツインソウルと結婚した日には、家庭が「一番大変なところ」になります。

興味深いことに、「自分達はツインソウル♪」と、ツインソウルの良いとこどりをしているような言動の多いカップルの多くは、無条件の愛や至高の愛とは縁遠いはずの、お金の問題か些細な行き違いで別れることが多いんですよね。
そういうところが、ツインソウルなカップルとそうでないカップルの違いなのかもしれません。

 

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