こんにちは、よいぼしのなぎうたのkinaです。
最近、「カラオケバトル」が流行ってますよね?
歌の上手い人が頭角を伸ばす、それはそれで良いことだと思うのですが……今回はカラオケバトルから見る、「本物の歌手の凄さ」について考えてみたいと思います。
歌に疎い人でもわかる⁉︎ 年齢による老化すら飛び越える、本物の歌手の歌声と凄さ
たまにお付き合いでカラオケバトルの番組を見ることがあります。
最初は「上手いな〜、凄いな〜」と思っていましたが……ある時、八神純子さんの「水色の雨」を歌った人がいた時に「何だこれ!」とぞっとしました。
何というか……「水色の雨」は名曲だと思っているのですが、その歌を名曲たらしめるエッセンスが取り除かれたようなものだったのです。
そのことに気づいた時に、「歌の上手下手と、歌に魂を籠めるのは違う。歌に魂を籠めてこそ歌手なんだろうな」と痛感しました。
機械が採点する「上手下手」と「人を感動させる何か」というのは、きっと似ているようで違う所にあるものなんだろうな、と思います。
さて今回のお正月、歌というか演歌が大好きな母親に付き合って(本来はkinaのジャンルではない)「演歌の花道スペシャル」を家族で見ていました。
そこで、カラオケバトルで有名になった方が出演されていたんですが、その時あまり歌には興味がなさそうに見える父親が「やっぱりカラオケバトルで有名になった人とちゃんとした歌手と一緒に聞くと話になんない」と言っていました。
さて、そのカラオケバトルで有名になった方の後に歌ったのは千昌夫さん。
……確かに父親の言っていた通り、話になりませんでした……。
思わず「千昌夫(さん)っていくつだったっけ? 確か相当な年じゃない?」という話になってしまいました^_^;
ただ今Wikipediaで調べたところ、御年69歳とのことですが、うちの家族は70だの80近いだの、もっと上の年齢を言ってました。
それだけ、千昌夫さんが昔から活躍していたイメージが強かった、ということかと思います。
それはともかく、還暦を過ぎてあの歌唱力は凄すぎでしたし、圧巻の一言でした。
お客様は神様です。「歌」というものの発生起源に見る、歌の本質と歌手に求められるもの
日本の場合は「死者を弔うもの」ということもありましたが、元々「歌」というものは、神に捧げられるもので、そこから派生している分野になります。
これは古今東西、あまり変わりはありません。
つまり、「歌い手となる以上は人の心どころか、神の心を動かす技量」が求められていたし、そういう技量を持つ人だからこそ尊敬されるものだと……カラオケバトルで聞く歌を通して強く思いました。
そのことで、ふと三波春夫さんを思い出しました。
「国民的歌手」とも言われた三波春夫さんは「お客様は神様です」という名言がありましたが、あの言葉は「どんなに酷い客でも大切に扱う」という意味ではなく、「歌というものは神様に聴かせるべきもので、自分はここにいるお客様を神様と思って歌う」という意味合いがあったと言われていますね。
決してクレーマーに言質を与える言葉ではなく、「歌手」という特別な環境にいるからこその言葉だった、と。
三波春夫さんレベルなら、酷い客がいたとしても「歌」というパフォーマンスで文句を出させないどころか、「ナマの三波春夫(さん)は凄かった」とファンに変えてしまえるだけのものはあったと思いますし^_^;
今にして思えば、「お客様は神様です」という言葉には歌手になりたい人が目指すものを示していたのかもしれませんね………クレーマーのお客様を歌声で納得させるという意味も含めて。
そういう、神と人の心を動かせるような歌い手さんがたくさん出てきてほしいと思っています。
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