【もう、もとに戻ることが出来ないのであれば、新しい生き方とともに生きて行きましょう】〜キプロスのカズコより

生き方

人生、生きているとそれぞれに辛い時期というものがあります。

内面、外面の両方で起こる深い変化のとき、探し求め、選り分けるとき、新しい環境、次元へと入っていくときです。

この変化の時期は、ふわふわしたお花畑のような今までのような楽なことばかりではありません。

例えて言えば、セミは長い間、土の中で成長するまで、他の昆虫よりもゆっくり時間をかけて地上に出て来ます。

また、花が咲くとき、蕾が割れ、抵抗することなく、花びらを開き、咲き始めます。

あなたがすでに覚醒しているのであれば、内面に花が咲き、純粋で綺麗で美しい感覚を持っていられることでしょう。

今、起きていることは、すべて、この地球の人達が、セミが地上に現れたときに受ける衝撃に似ているかも知れません。

一人一人の内面にこれまで眠って来た何かが発芽し始めています。

もちろん、人によって気づきのレベルは異なります。

また、宗教的な背景や思考によっても、この「気づき」の速度は異なります。

時間が掛かる人種もいるでしょうし、2000年以降に生まれたスターシードのような日本人の子供たちは、生まれたときから、この「気づき」を持って生まれています。

命がある限り、どの人にも「気づき」ことが出来るでしょう。

ですから、すべての人々に劇的な変化がこのような形で起きています。

不可能と思えたことが可能になったり、黒が白になり、悪意がその途中で、変化したり、私たち人間もついに本来の自分が遣り方の誤りに気づくことで、今まで、物質的なモノを得るために、自然のバランスにどれほどの影響を及ぼしていたかに気づいていることでしょう。

これまでの過ちを正したいと思う人が増えて来ることでしょうし、すでに、その傾向はあることでしょう。

そして、やっとのことで、人生で本当に大切なこと、つまり、「霊」「神」「森羅万象」について気づくことになるでしょう。

教会や神社、お寺に行き、自分の願い事ばかりして来た人ほど、他者の為に、何かをしてあげたくなる感情が湧いて来ることでしょう。

これから、私たち日本人の遺伝子を持つ人々は、古代シュメール人であった時代とともにAIや新しい時代の思考を共存しながら、生きて行く事になるでしょう。

激動の時代だからこそ、神様を信じることです。

戦後、日本は宗教や武士道をGHQによって排除されてしまったために、本来はイスラエル民族のように「祈る、学ぶ、神を信じる」を封印されてしまいました。

私の祖母は明治生まれの神道信者でしたから、朝は天津祝詞を挙げ、週末は神社に行き、掃除に行ったりしていました。

「誰のために祈るのか」と訊ねたとき、「誰のためでもなく、神様のため」と言っていました。
戦争が終わるまで、神様の子である天皇のために祈っていたと思います。

明治天皇の掛け軸もありましたので、神様の為であったのでしょう。

今日だと、宗教はカルト信者や気が狂った人が行うというイメージですが、家の中で祈ることで、波動も良くなり、感謝の気持ちを表現していたのだと思います。

とても小柄な祖母でしたが、武士の血を引くだけのこともあり、凛としたイメージがありました。

堂々とした態度は内面の中に神がいたから、それが今風のご利益とか利己的な祈願ではなく、日本人に誇りを持っていたからだと思います。

人生の危機に直面したとき、人は本来の個性が現れます。
愛する人を失ったとき、病気になったとき、人間関係の崩壊等、私たちは「なぜ?」「なぜ? 自分だけ?」と問いかけるでしょう。

その裏には、人生にはすべて自分の理解できる理由があるはずだ、という思いがあり、自我は物事の起こる理由を必ず理解出来るという無意識の概念がそこにあるからです。

しかし、多くの場合、人生は自分が到底予想出来なかった方向へと展開して行きます。

このような危機とは、人生は自分ではコントロールしているという理解が、実はそれは「妄想」だったと気づく瞬間なのです。

生き方

 

私たちは生かされているのです。

だからこそ、危機に直面したとき、多くの人は計り知れない何かの存在に気づくことが出来るのです。

それこそが、日本人が忘れていた「氣づき」なのです。

「妄想」を手放す時期が各々に到来して来ることでしょう。

そして、多くの人々が不思議な現象を肉眼で見ることが出来ることが出来るようになるでしょう。

高次元の存在にすべてをゆだねる事で、学ばされることになることでしょう。

最後に神様が望んでいることは、「1.思考停止をしてはいけません。2.与える人になりましょう。3.愛なくして、生き延びることは出来ない。」

準備が出来ている人は、「光の存在を信じること」は、英語で言えば、ライトワーカーを意味しているのでしょう。

完璧な愛はすべての悪を破壊することが出来るでしょう。

愛という言葉は、神の意志(心・ま心)を受け入れることで、明るく、素直に生きて行けることでしょう。

神様を身近に感じることにお金は掛かりません。

美しい夕陽や日の出、浄化された綺麗な自然界の風景、ゆらゆらと飛び回る蝶々や咲き乱れている花たちを立ち止まって見て下さい。

よく見る事です。

そこで見える物の輝きを感じ取って下さい。

美はあらゆる場所に存在しています。

そして、あなたの心を癒し、あなたの魂を喜ばせ、思考を元氣にして、人生に喜びと光を齎してくることでしょう。

悲しくなる出来事がある人ほど、自然界に足を運んで下さい。

このような世界規模で困難なことがないと、私たちは時間という妄想とともに、神様の存在までも忘れて来たことでしょう。

思い出して下さい。

あなたがなぜこの世に生まれて来たのか。

ありがとうございます。

 

愛を込めて、女神アフロディーテの生まれた国より

 

カズコ

 

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