いつ行っても楽しめるギリシャ旅行記 後編〜キプロスのカズコより

今回のギリシャ人のタロットリーダーの方は、タロットを沢山使って、色々と見て下さったのですが、とても、良い事ばかり言って下さいました。

歌った後に、直ぐに、出て行こうとしたのを私は呼び止めて、写真を撮って貰いました。

姪っ子曰く、誰とも写真を撮らなかったらしく、私だけの写真のみだったらしいです。

その後は、もう、踊る、飲む。が、続きました。
義理の弟、コスタがテーブル席に遣って来て、私にワインを注いで貰い、一機飲みをすることになりました。
マイケルには止められましたが、まぁ、お祝いの席だったので、飲みました。
2杯続けて飲んだら、姪っ子も遣りたかったのか、3杯の一機飲みは、人生で初めてでした。
その後、知らない人達からも誘われて、一緒に踊ることになり、もう、シンデレラタイムを過ぎていたので、眠りたいと願い、隣の席の人達も同じホテルに帰るので、1時半頃に、まだまだ、朝方まで続いて行くパーティ会場を後にしました。

次の日、朝食を取っている姪っ子に聞くと、彼女たちは2時半のバスでホテルに帰り、6時頃まで、続いたらしく、特に、3時ぐらいからが盛大だったらしいです。
ニコシアから来ていた姪っ子たちは、月曜日から仕事があるので、今回は、ほぼ、結婚式だけのために、ロードス島だけでした。
私たちは、13年振りのアテネも行く予定にしていました。
アテネも、マイケルに「どこのホテルに泊まるの?」と、聞かれ、「どこだったかな?」と、アテネに到着して、「この住所だけど、タクシーにする? それとも、メトロ?」と、聞くという、のんびりモードでした。
以前は、誰かが迎えて来てくれた記憶がありました。

 

義理の妹の家に泊った記憶がありました。

多分、花嫁の姪っ子が、迎えに来た覚えがあります。
今回は、ロードス島のホテルは姪っ子が予約を入れてくれていたのですが、アテネのホテルは、シンダグマ広場から近いところに自分で予約を入れたのですが、タクシーで横付けは出来ないらしいホテルということだったので、メトロにしました。
スーツケースを持ってうろうろして、数分後、「この通りだよね。」と、言って、ローレックスの時計屋さんのガードマンにマイケルが道を尋ねると、「ここに行きたいの?」と、聞かれ、「ここはとっても、とっても、遠いよ。」と、言われて、「どれぐらい遠いの?」と聞き返すと、指で示されたところは目の前でした。
スーツケースを置いて、シンダグマ広場に行きました。
動いては行けない、ガードの人達。

以前は写真を隣で取れましたが、最近はダメみたいでした。
その後、アクロポリスまで、歩いて行き、午後6時までに外に出ないといけないらしかったので、その反対の場所の大理石の丘みたいなところに登りました。
ツルツルした大理石をビーチサンダルで歩いている人を見ると、見ている方が怖くなりました。
帰りに、日本食を食べ、お風呂に入りました。
アテネも日中は29度で、ほぼ夏の気温、ちらほらとジャケットを着ている人もいますが、かなり、暑かったです。
次の日も、歩いて、アクロポリスまで行きました。

 

行くと、長蛇の列でした。

待っている間も、日差しが暑すぎました。
13年前に行ったときの入場料は10ユーロぐらいだったと思います。
今回は、20ユーロでした。