21世紀のセカンドシーズン遂に完結!~2016年をまもなく終えるにあたって~

アナタもこの9年間、本当に色々なことがあったと思います。

今年(2016)年を振り返りながら、今回のサイクルを見て行くと、やはり一段落ついたのかなという感じがします。
今年は特に後半にかけて大きな変化がありました。
公私ともにアクティヴになった気がします。
仕事の方向性も流されるだけではなく、攻めの姿勢にシフトチェンジしたのではないかという気がします。
自分から大きな決断をしたというより、その状況ごとに最善の策を考えていたら自然にこういう流れになった気がします。

意識的に鍛えていたというわけではありませんが、体調やメンタルも変化した実感があります。
どうやって変化したのかは、特に意識したのは体を温めること、食べ物を選んで食べること、言葉の使い方に気をつけること。
このくらいでしょうか。
それを意識し始めて潜在意識に刻み込めたかなという頃から、徐々に生活そのものが変わってきました。

ということは、以前はこれらを意識していなかったということにもなりますので、更に過去にさかのぼってみようと思います。

 

将来の希望もヴィジョンも何もなかった過去

今回のサイクルの初めごろの私は会社と自宅を往復するだけの毎日でした。
音楽活動もしてはおりましたが当時は将来のヴィジョンというものがまったく見えていなかった時期でもありました。

もちろん働くことは良いことです。
クタクタになって帰宅して翌日からまた頑張って……というのも決して悪いことではありません。
ただ、それは個人差があることだったりします。
そういうライフスタイルが合っている人には何も問題ないのです。
ただ、私には合っていなかったのです。

人生というのは学びの場です。
だから、この生き方が正しいとか目安はあっても絶対ということではありません。
人それぞれ学びや成長のペースは違ってきます。
もちろん遭遇する試練も難易度も人によって違ってきます。

当時は若かったこともあり、社会人の在るべき姿、なりたい自分像など、その辺のことを考える余裕など、全くなかった気がします。
とりあえず会社に行く。まぁ、みんな多分そんな感じだし、それで良いだろうみたいなイメージだったのかもしれません。

とはいえ、それがネガティヴだったかというとそういうわけでもありません。
ただ、未来のヴィジョンやセルフイメージといった概念が私の中になかったのです。

「きっと、みんな同じようなものだろう……」という思い込みがあったのだと思います。
でも、みんなが同じだとしたら、なぜイキイキと輝いている人もいれば、毎日ぐったりしている人もいるのだろう。
よくよく考えてみると、そんな疑問も薄々は感じていました。

私は真面目に働いている、悪い事はしていない。
ただ、仕事が楽しいかどうかよりも働いていればそれで良いといったような感覚。
真面目に働けば疲れるのは当たり前だし、家に帰ればグッタリするのが当たり前。
休日も疲れを抜く事だけで手いっぱい。
他に何かをするとか、考えるとか、そんな余裕はありませんでした。

燃え尽きるほど働いていたとか、決してそんな事はなく、ブラック会社にいたわけでもありません。
たくさんのことを学べましたし、それなりに価値はあったと思います。
当時、ご指導下さった上司や同僚にも心から感謝しています。

しかし、しばらくこのような状態が続くと、今度は自分自身の存在価値や存在理由がわからなくなってきました。
「これで良いハズなのに、なんで満たされないのだろう……」という気持ちが次第に強まってきました。
疲れは抜けないし、心も次第にウツっぽくなってきたような、なんだか幸せから程遠くなって行くような気がしてきたのです。

そこで、思いたって『自分自身を見つめ直す』ことにしたのです。
ここが人生の分岐点だったかもしれません。

他の人と自分を比べて嘆くのではなく、輝いている人に嫉妬するのではなく、とにかく自分自身と徹底的に向き合うことにしたのです。
すると、ある結論に辿りついたのです。
それは「生きてはいるが、私という存在を尊重していない」ということです。

悪い事をしなければ良いというわけではなかったのです。
私の人生ですから、私という存在をもっと大事にしてあげなければ、満たされるはずはなかったのです。

そこで私はセルフイメージについて徹底的に考えました。
幸せな人とそうではない人の差というのはセルフイメージの問題なのではないかと思ったのです。

現状の自分と望む人生のヴィジョンの差が大きければ大きいほど、惨めになって来るのが人というものです。しかし、そもそも人生のヴィジョンが見えていないのに正しいも、間違っているもないのです。モヤモヤした感情だけが残るのです。