★なぜ断捨離できないの? 脳のメカニズムと八十万神信仰から考える。捨てたくない気持ちも大切にしていい

こんにちは。
生き物大好きな占い師&教員&気象予報士の金子大輔です。
2010年「断捨離」が流行語にノミネートされて、はや8年ですね。

今では最低限の物しか持たない人は「ミニマリスト」と呼ばれるに至っています。

しかし、ここまで断捨離がもてはやされても、なかなか実行できないという方も少なくないのではないでしょうか。

 

●人間の脳は非「ミニマリスト」

そもそも、人間の脳が「ミニマリスト」的にはできていません。
たとえば、会ったこともなく、顔も知らない人の名前は、10人丸暗記するだけでも大変です。
一方で、クラスメートや同期の名前なら、特に努力などしなくても50人、100人くらいは頭に入っていることがありますね。
これは人間の脳の特性に大きく関係します。

 

●「余分な情報」があるほど脳は喜ぶ

同期の名前をまず忘れないのは、「余分な情報」がたくさんあるためです。
Aさんはどんな顔でどんな性格で、Aさんとはこういう思い出があって……と。

脳は情報を1つ、2つとインプットするのではなく、他の情報と絡めることで記憶していきます。
クモの巣のように、いろいろな情報がネットワークを作っていくのです。
このために、余分な情報・エピソードがたっぷりあった方が強力なネットワークが作られ、記憶は定着しやすいというわけです。

受験生は往々にして、単語や公式など最低限の情報の丸暗記に走りますが、実はそれは非効率。
問題と絡めて、さらに図や資料集を見て、さらに授業でのエピソードや先生の雑談など、一見無駄と思える情報と絡めて覚えるほうが、脳は喜んで情報を受け入れてくれます。

 

●捨てられない、もったいない、は本能ではないか

こうしたことから、「捨てられない」「もったいないと感じる」のは、人間の本能に近いと私は考えています。
脳が「一見無駄な情報」で活性化するように、私たちの心も、一見無駄な物があることで、豊かさを感じることもあります。
はじめて歩けたときの靴、はじめて100点取った答案、子どもの頃に集めていたシール……そんなものが100個や200個、身近に存在したっていいのではないでしょうか。
私自身、理系でありながら国語を捨てなかったために、物を書く仕事ができているのだと思っています。
「ミュージシャンになるつもりはないから音楽は捨てる」、「研究者になるつもりはないから物理は捨てる」、そんなのはもったいな過ぎます。

 

●「物にも魂がある」と考えてしまう

また、八十万神を信仰してきた日本では「物にも魂がある」と、無意識に考えてしまうことがあります。
たとえば機械は生き物ではないことはわかっていても、愛用していたパソコンがハンマーで殴られてグシャグシャにされていくシーンを見たら、目をそむけたくなりませんか。

同じように、身近にあった愛着のある物が、悪臭漂うゴミ収集車の中にギュウギュウ詰め込まれていくところを想像して、つい二の足を踏んでしまうということもあると思います。
日本人のそんな文化・思いこそ、簡単に捨ててしまうのはもったいな過ぎます。

 

●ゴミとして出すのではなく、供養する社会になってほしい

そういう文化を反映してか、針供養、カバン供養、靴供養など、さまざまな「物」の供養が今でも存在しています。
これらを発展させ、安価でいろいろなもの、それこそ文房具やちり紙に至るまで、あらゆる物の「供養」を廉価で引き受けるところができれば、心置きなく整理整頓に勤しむことができる人も増えるのではないかと思います。

私自身も、やはり思い出の品や、長年使って寿命を迎えた物を「ゴミとして」捨ててしまうことには違和感を覚えてしまい、なかなか整理が進まない現実があります。
尤も個人的には、思い出の物をろくすっぽ取って置くことすらままならない日本の住宅事情が極めて異常なのだと思ったりもします。

(金子 大輔)

 

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