さらば我が家 〜 我慢の記憶 〜 脳梗塞で50年住んだ我が家の売却を決意

どんどんが50年間住んだ家を手放しました。 我慢の記憶を積み重ねた家でした。その記憶をついに手放す時が来たのです。

《50年住んだ我が家》

わたしが50年住んだ家を先月末に売却いたしました。

99年続いた家業をたたみ、経営者だった頃に出来てしまった借金の清算のために、我が家を手放しました。

借金の大元が出来たのは会社の上場を夢見ていた30歳の頃。
ポジティブシンキングだけを考え、超拡大路線を取ったのが転落の始まりでした。

すぐに自宅の売却をすることを銀行や弁護士に勧められましたが、家内の希望を第一に、自宅だけは最後まで守ろうと決意したのでした。
それからは、事業の縮小、転向、など様々なことをして、自宅を守りながら、何とかしのいで来ました。

 

《自分ファーストセミナー》

転機が訪れたのが昨年6月。

自分を愛することを突き詰めると、自分ファーストになると思い始め、そこから、我慢すること、頑張ることを手放す「自分ファーストセミナー」を開催することにしたのです。
するとそれを契機に、これ以上しのげなくなる事件が勃発し、事態は思わぬ方向に。

予想もしない方法で、すでに興味がなく、やる気もなくなっていた家業を、強制的にたたむことになったのです。

セミナーの一番の影響を受けたのがトレーナー自身だったのです。

 

《脳梗塞で自宅の売却を決意》

しかし、それでもあきらめきれないのが家内です。
わたしも、自分が作ってしまった借金のせいで、家内を巻き込んだことに罪悪感があり、どうしても自宅をあきらめてくれとは口に出せなかったのです。

前にも後ろにも進めなかったわたしに救いの手を差し伸べてくれたのが「脳梗塞」。
「脳梗塞」という病気になることにより、さすがに、家内もわたしの身体を心配し、自宅を手放すことに同意してくれたのです。

「脳梗塞」になったおかげで、皮肉にも自宅を売却することが出来たのです。

 

《我慢の記憶》

我が家は、言わば、わたしにとって我慢の記憶の家でした。

統合失調症で入退院を繰り返していた母。
大学生で統合失調症となり、自殺未遂から両足を失くしてしまった兄。
仕事一筋で、厳格で真面目な父。

両親の死後、結婚し、兄を養いながら自宅を守り続けました。

就職も、事業も、家族のことを考えながら決めました。

そこには、我慢しかありませんでした。
自分の意志はほぼなかったのです。

自宅を売却した今、もう我慢をする必要はありません。

我が家よ。さらば!

我慢よ。さらば!

そして、我慢を続けた自分を抱きしめてあげます。

よくやった。

もう自由になっていいんだよ。

 

ブログ「自分を愛する教科書」
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