愛すればこそ。愛は優しく揺るぎない、大いなる神のエネルギー〜前編〜

これは約2ヶ月前の記事に初めて書いた、筆者の愛の宿題に挑み、愛そのものに目覚めた体験談です。

「あなたが思う、愛とは何ですか?」

こう問われると、現代の日本人の多くはしばらく考え込みます。
愛があれば幸せ♪ のはずなのに、愛が何なのかすぐに出てこないのです。

なぜだと思いますか?

半分の理由は、これが愛である、というものを、日本では言葉にする習慣がほとんどないためです。
「愛してる」という言葉はちゃんと存在しているのに、その言葉に想いを乗せて口にしない。
かつ、愛を感じるのは誰にどんな時か、などとわざわざ意識していないので、思い出すのに時間がかかるのです。

もう半分の理由は、これが愛である、というものがわからないところにあります。
愛そのものが薄い、もしくは歪んだ愛の表現を周りの人たちがしている環境下で育つと、愛自体がわからなくなります。
愛が足りないインナーチャイルドを心に持ち、苦しいまま生きている状態では愛を理解することは難しい。

愛そのものがわからないのに、教えてほしいのに、「愛とは何?」と問われても、答えられるわけありませんよね。

 

愛がよくわからない……魂が愛のカルマを落としたがっている

かく言う筆者も、愛というものがよくわかっていませんでした。
愛に溢れ、愛の言葉を口にする祖母と、愛そのものがわからず、支配と悲しみを与える母。
両極端な陰陽のエネルギーが存在する家庭で、私は歪んだ愛の概念を心に創り上げていったからです。

そんな筆者が、愛そのものを心底理解できたのは、30代も半ばになった頃でした。
そこに至るまでの経緯は、自分で言うのも何ですが、何の苦もなくラクに理解できたわけではありません。
ひとつの辛すぎる出来事が起きてから理解できるまで、少なくとも10年はかかっています。

今思うと、カルマを落とす作業とでも言いましょうか。
忘れていた愛そのものを思い出す魂の宿題に挑んでいたのです。
もしあなたが愛に必要以上に苦しんでいたとしたら、あなたの魂が、愛のカルマを落としたがっているのかもしれません。

愛を心底理解するためには、それ相応の試練を乗り越える道が用意されています。
それほど愛というものは、優しく揺るぎなく、この世を創り出した神様に匹敵する大きなエネルギーだからです。
また筆者のツインソウルの相方と出逢い、この魂のお役目に従事していくためには、愛の宿題をクリアーする必要もありました。

これは約2ヶ月前の記事に初めて書いた、筆者の愛の宿題に挑み、愛そのものに目覚めた体験談です。
TRINITYをご覧のあなたにもお披露目する時がまいりましたので、ここに上げさせていただきます。

 

ひとり娘との別れ、娘の心

1度目の結婚の時、22歳でひとり娘を産みました。その頃には元夫とずいぶん心が通じあわなくなっていましたが、夫婦共々、娘のことはお互いそれなりに大切に思っていました。

年月を重ねるごとに夫婦仲は悪化の一途を辿り、同時に私の心も壊れていきました。相談していた方の仲裁もうまくいかず、でも娘のために離婚だけは避けたくて、和解調停を申し立てました。法的な第三者を交えての話し合いだったら、きっとうまくいくと思ったからです。

しかし調停での話し合いは平行線のまま、無情にも1年以上が経過。
その間に元夫は、娘を連れて実家に引っ越してしまいました。そしてこんな書面を、家庭裁判所に提出していました。

「こうなったのも妻が浮気をしていたからだ、妻が全面的に謝罪するなら考えてやらないこともない。」事実無根の、元夫の激しい思い込み。なのに事実を調べてもらえることもなく、親権は元夫のもとに、私の娘への面会権は全面的に謝絶となってしまいました。

たまらず元夫の実家に行き、娘に会わせてくれるよう涙ながらに頼みましたが、元夫だけでなく義父母も拒否。挙げ句の果てに外で待っているよう指示した後、こっそり娘をどこかへ連れ去ってしまいました。

せめて進学のお祝いだけでもと送った私の両親の思いも入れたお祝いさえ、彼らは封も開けずに返送してきました。そこまでするのか。ただ、娘を大切に思っているだけなのに・・・死にたい、でも、死ねないと、ずいぶん苦しんだものです。

娘が小学校3年生の時に一度だけ、こっそり学校に会いに行ったことがありました。娘はその際、ポツポツとこう話してくれました。

「最初、お母さんだとわからなかった。うちにはお母さんのものは写真も何も残ってないから・・・。
お母さんは浮気して出てったって、もう他の人と結婚してるから会いには来ないって、お父さん、言ってた。」

再婚していたのは事実でした。けれども理由は違う。
まだ10歳にもならないのに、父親の自己防衛のための所業や思い込みを、娘は必死で受けとめていました。
そんな娘を見て、もう何も言えませんでした。

(後編へ続く)

 

《慈敬(じきょう)(俗名:伊藤友美)さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/ito-tomomi/?c=115131