エリコで食事をしたあと、ヨルダン川に向かい、洗礼者ヨハネがイエスを洗礼したとされる場所で、イニシエーションをしました。
(写真)ヨルダン川
(写真)ヨルダン川のイニシエーション・沐浴
インドのガンジス河で、「沐浴っていうのはちょっと浸かる、というのでは意味がないんだ。」と言って、寒い中、巡礼者が頭まで潜るのをしら~と見ていた私ですが、前回、このヨルダン川で頭まで潜ったら、一気に波動が変わったのを経験した私は、もちろん、最初から気合をいれて潜りました。
エリコで買い物の時間を取ったので、
歩いて誘惑の山に近づいてみることにしました。
ここは「ユダの荒野でイエスが40日間断食をして悪魔の誘惑を受けた場所」とされていて、山には修道の場らしく幾つもの洞窟が見え、遠目でもそれなりの迫力があります。
でも30分の休憩時間ではとても歩けず、戻ってくると、みんな気になったらしく、翌日登ることになりました。
翌日は夏至。いい感じの流れです。
(写真)誘惑の山
それからエリコの町で買い物、そのまま泊まりました。
イスラエルにいた時、パレスチナ自治区に泊まるのは、かなり敷居が高いことだったので、エリコに滞在できるというだけでワクワク……。砂漠が広がる場所にひとつだけある高い建物(ホテル)なので、ちょっと違和感はあるのですが、何にしても初めてのことって楽しい……!!
(写真)エリコの町
(写真)エリコのホテル、意外と近代的
(写真)ホテルからの景色(砂漠)
夏至、4日目。
まずは誘惑の山。
ケーブルカーでギリシャ正教の修道院に向かいます。
修道院は修道僧が一人いるだけで、扉を開けてくれるか分からない、という話でしたが、管理人を含め多くの人が住むようになったらしく、扉を叩いて5分ほどすると人が出てきて歓迎してくれました。
とても年をとった修道僧らしき男性と、神父さまのようないい言い方をすれば威厳のある、悪い言い方をすれば支配的な感じのする男性と、あとは管理人の人たちが住んでいるようです。
以前はそのお年寄りの修道僧だけだったので、外部にはほとんど機能していなかったようです。
レイは瞑想をさせてくれて、またイエスが修行したという洞窟の鍵も開けてくれたので喜んでいましたが、正直なところ神父さんにはあまりいい印象を持てませんでした。
瞑想した奥の部屋は垂直なエネルギーの流れがあって、つながりやすい場所のようです。
奥の洞窟はイエスというのか、マスターというのか高貴で荘厳な波動と共に依存のような重い波動も混在していました。
祭壇に色々な人の写真が置かれていましたが、ここに来れば願いが叶う、というような人の念が洞窟で風通しも悪いので重い波動としてそのまま残っているのでしょう。
でも山自体はとてもパワフルでエネルギーをチャージするには、とても適した場所でした。
(写真)誘惑の山 修道院までの階段
(写真)ギリシャ正教の修道院・洞窟
それから死海で海水浴。
私は疲れていたので荷物持ちとカメラマンに徹することにしました。
(写真)死海
そして死海写本の見つかった、エッセネ派の拠点、クムランへ。
2013年のリトリートではクムラン北側の洞窟で素晴らしい時間を過ごせたので、夏至もこの場所でのワークを意図していたのですが、意識やタイミングが合わなかったらしく、前回イニシエーションした洞窟は、雨で崩れ落ちていて、鳥の羽と糞で覆われていて、瞑想どころではありませんでした。
(写真)死海写本の洞窟
場所を見つけるのにも炎天下に荒野をうろうろしたので、頭痛もしてきました。
レイも私も、前回の印象があまりにも強くて、誘惑の山に行ったので時間がないのに、スケジュールを削らずにクムラン、マサダと欲張ってしまったのですが、」今回はクムランでのアライメントは必要なかったのでしょう。
流れをよく見ないで過去の情報に頼ってしまうと、無駄なエネルギーを使うということを実感しました。
マサダ
そこからマサダへと向かい急ぎ足で回りました。
約1000人近いユダヤ人が亡くなったこの場所では、プラネタリーヒーリングを意図していましたが、私は既に頭だけでなく体の節々が痛みはじめて歩くのがやっと。。。
それでも一応、エネルギーワークをしていたのですが、それが災いしたのが、バスでその日の宿泊地である砂漠のベドウィンの施設に着くまでには熱も出てきたようで動けなくなっていました。
何人かが気功やエネルギーワークをしてくれたのですが、どうやら熱中症だと言うのを夢現で聞きながら、何となく、今の自分はイエスの荒野での苦しみを再現しているのかな、と思うにいたりました。
イエスの、荒野の修行での精神的なチャレンジについては、考えたことがあったのですが、肉体面のこと・・・例えば、空腹感、痛み、熱などに悩まされたなどとは、恐れ多くて考えたことがなかったのですが、身体の痛みを感じながら、そうか、イエスも人間だったならこんな経験をしていたのかもしれない、と思うと、とても感慨深くなりました。
楽しみにしていた砂漠での夜は、火照った身体の熱との戦いで終わってしまいました。
私は臥せっていたので話を聞けなかったのですが、着いた早々、男尊女卑の厳しいベドウィンの世界で仕事を続け、また仕事を作り出してきた女性のスピーチがあって盛り上がっていました。