1日目、エルサレム。
始まりはオリーブ山から。
エルサレムのトレードマークのような神殿の丘を望んでからゲッセマネの園まで下ります。
今回のガイドはマヘルというアラブ人のイスラム教徒。
前回のガイドはアラブ系クリスチャンで、スタンフォードかどこかで考古学を学んだという秀才肌のおじさんでしたが、とても短気で堅物だったので、今回は知識はフツーでいいのでフレキシブルな人を、とリクエストしていました。
彼の奥さんはユダヤ人で、イスラエルでは珍しいイスラム教徒とユダヤ教徒のカップル。戦争が続くイスラエルでは、敵対する文化間での結婚はとても難しいものです。
私が住んでいた時も、リベラル系のユダヤ人の友人も、さすがにアラブ人と付き合ったらコミュニティを追い出される、と言うような話をしていました。
奥さんのルツもガイドで、安息日にはシナゴーグに行くし、マヘルもラマダン(断食)を守っている宗教家で、お互いの宗教を尊重し合っているとか。
マヘルが柔軟かどうかは別として、文化間の調和を意図してきたのでぴったりの設定でした。
オリーブ山は過ぎ越しの祭りのためにガリラヤ湖から降ってきたイエス・キリストがエルサレムに入る前に通った場所で、ここでイスラエルの悲惨な未来を見て涙を流したと言われています。
エルサレムの東に眠ると救世主が来た時に一緒に復活できる、という伝説があるためオリーブ山周辺はお墓だらけ。
主の涙の教会を通って、ゲッセマネの園に向かっていると、オリーブ山の中腹にある密教的で、不思議な空間のあるロシア正教のマグダラのマリア教会が開いていたので入ることになりました。
ここは火・木曜しか空いていないので、翌週に来るはずだったのですがちょうどいいタイミングでした。
ただ、前日のエイン・カレムのロシア正教会の印象が悪かったからなのか、神秘的で気に入っていたはずのこの教会でも今一つつながれず・・・
おまけに外で瞑想をしていると、修道女が苦々しい顔をしてでてきて今日は正教徒のみ!!と早く帰るように指示してきました。
入口に肌を隠すためのスカーフが置いてあって、女性は身体を隠すことになっていますが、ガイドがズボンの人は必要なし、と言うので身につけないまま入ったことで怒らせてしまったようです。
他にも中国語の通訳の声が聞こえない!ともめたりもして、何となく場所に不穏な波動があったようにも思えます。
この場所は、本来、とても純粋な波動があると思っていますが、政情によるものなのか、組織的なものなのか何か別の力が働いているようでした。
気を取り直して、ゲッセマネの園へ。
万国民の教会はイエスが最後の祈りを捧げた岩を囲んでいますが、岩は触れることができないようになっていて残念。
この岩はとても貫禄があり、強い波動を感じます。
その日はラマダン(イスラム教の断食月)の最初の金曜日。
この日は数年ぶりにガザなどのパレスチナ自治区にいるイスラム教徒達が神殿の丘で祈るために検問所を通ることが許可された日で、エルサレム旧市街周辺は徒歩で神殿の丘に向かう人で溢れ、バスが通れなくなったため、エイン・カレムに行くことになりました。
前日、友人と行った洗礼者ヨハネの教会や時間外で入ることのできなかったマリアの訪問教会に行きました。
ここは洗礼者ヨハネの夏の家で聖母マリアが訪ねたとされる場所。
2日目、死海に向かいます。
まずは園の墓へ。
ここは聖墳墓教会と並び、イエス・キリストが埋葬されたと信じられている場所で、イギリスの教会が庭園を維持していることもあり、グラストンベリーのチャリスの井戸と同じような、秘められた波動がある空間です。
新約聖書の記述と照らし合わせると、その記述に近いのがこの辺りだそうで、確かにお墓の洞窟にも強い波動があります。
それからラザロ教会へ。
イエスが死んだラザロを生き返らせた場所で、復活を象徴する場所です。
ラザロとその姉妹の住んでいた家の上に教会が建てられ、またお墓もあります。
暗くて少し不気味な波動で普段では入らないようなそのお墓が何故か、気になって入ってみたのですが、入る前の印象と入ってからの感覚に差がある異空間です。
ピラミッドの石棺に横になると脳波がちょっと変わって、異次元とつながる感覚が起こるのですが、それに少し似ていてるような・・・でも、陰陽どちらの作用も強そうなので、意識しながら入る必要があるかもしれません。
アンバサダーズ・オブ・ライト
宮崎
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