一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.98 「リリーのすべて」

たとえ、夫が女性になっても彼女の中で夫への愛は変わらないのだ。まさに、献身。

世界で初めて女性となる手術を受けた
自らを探し求めた悲痛な魂の彷徨

沼地に横一列に4本並んだ木。陰鬱な鉛色の空。
暗いブルーを主としたその景色にまず心を捉えられる。
簡素ながらリズムがあり、秩序が感じられる。
シンメトリーに並んだ木の様は潔くもある。
その風景はそのまま印象深いテイストを残して絵となる。

その絵を描いたのは1926年当時のデンマークで活躍する風景画家のアイナー・ヴェイナー。
妻のゲルダは肖像画家だが、夫のように売れっ子ではない。
しかし、ふたりは仲むつまじく、結婚6年を経ても新婚のように無邪気で楽しい夫婦だった。
しかし、ある日夫が自分の性に違和を抱き、女性へと性別移行したいと望んだことによって妻は修羅の日々を生きることになる。

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夫が女性になっても妻の愛は変わらず
妻の献身と修羅の日々

開巻から緊迫感溢れる弦の音でドラマチックさが伺える。どんな悲劇が用意されているのか胸が高鳴った。
それは半端ない辛さと悲しみだったけど、たっぷり悲劇に浸ることが出来た。
「ああ、なんて悲しいの……」と陶酔させられた。
悲しみは喜びと同じくらい甘美である。いや、喜びより強烈に甘美なような気も最近はする。

とは言っても、今から百年近く前に性別適合手術を初めて受けたという実話である。

最初は医者に行っても頭が変だと思われて精神病院にぶち込まれそうになったり、睾丸に放射線を当てられたり、とんでもない対症療法が行われたりする。差別や暴力ももちろんありだ。陶酔する前に、観てて辛い。でもアイナーはへこたれず本当の自分として生きたいと、女性になる手術を狂喜して受け入れる。

それを煩悶葛藤しながら支え続ける妻のゲルダ。たとえ、夫が女性になっても彼女の中で夫への愛は変わらないのだ。まさに、献身。

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アカデミー賞を獲ったアリシアと
エディの賞ものの繊細な演技は見もの

妻を演じるアリシア・ヴィキャンデルは先のアカデミー賞で助演女優賞を授賞した。
私としてはなんかカリフォルニア・ガールみたいな軽さと日焼けした小麦色の肌が浮いてるしな~、演技も演じやすい役ではあるよな~と彼女はもひとつだったのだが……。
対してアイナーを演じたエディ・レッドメインの演技は素晴らしかった!! まあ、私がエディファンということもあるんだけど(笑)。
女性になってからの可憐さ、しぐさの女っぽさ。少々首が太くて口がでか過ぎるのは仕方ないとして、大柄美女に大変身なのだ。男性は女性を演じる場合すごく解放されるみたいだから、エディも嬉々として演じてたんだろう。
しかし、可愛い。大柄なのに小鳥のようで、妻じゃなくても守ってやりたいと思う痛々しさだった。

もう一人特筆の人物が。アイナーの幼馴染で、ゲルダを支える画商のハンス。
演じるのはマティアス・スーナールツ。むちゃくちゃ色気あってカッコイイの!! 押し出しの強い中年男って感じで、どこまでも頼れる、何言っても大丈夫、正解をくれるって様は「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルみたいなのだ。
エディと真反対で際立っていた。タキシード姿、セクシーすぎる!

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逝った魂たちは使命を持って生まれ変わる
私たちの意識を変えるために

さて、ラストは悲しい結末で泣ける。あまりにアイナーの人生が辛いものだっただけに、ラストで悲しみを涙で浄化させないといられなかった。

映画の最初の沼地が再び登場する。そこでの風景はアイナーの原風景だったのか。
静かに佇む寂しげな木たち。その様子はアイナーの風情そのままである。

百年前に性別違和で亡くなっていった魂たちは、現代に生まれ変わって少しずつ人々の意識や時代を変えようとしているのだろう。
果敢な魂は現代でも闘っているのだ。そんなことをふと、考えた。

■監督 トム・フーパー
■脚本 ルシンダ・コクソン
■原作 デイヴィッド・エバーショフ
■出演 エディ・レッドメイン アリシア・ヴィキャンデル ベン・ウィショー セバスチャン・コッホ アンバー・ハード マティアス・スーナールツ
■120分

※3月18日(金)~TOHOシネマズ梅田 他全国ロードショー

 

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