倭の女王・邪馬台国の卑弥呼とは、どのような人物だったのか?~数少ない文献の記録から、その謎めいた人物像を探ってみる~

卑弥呼

邪馬台国の女王・卑弥呼……その名は大変有名でありながら、研究が進んだ今になっても、多くの謎に包まれています。
一般的なイメージとしては、古代日本の邪馬台国という大きな国を統治した、不思議な力を持つ、力強いアクティブな女王ではないでしょうか。

残されている数少ない文献から、実際には卑弥呼がどのような人物だったのかを、ざっくりと探ってみましょう。

 

「卑弥呼は誰だったのか」については、さまざまな説がある

3世紀に生きていたとされる、卑弥呼に関する記述が残されている文献は、実は日本では一切見つかっていません。
すべて卑弥呼と交流のあった、古代中国の『魏志倭人伝』の中の数か所に、残されているだけだといわれています。
そうした数少ない文献から、卑弥呼は実は日本書紀や古事記に登場する、他の人物だったのではないか……という説が、いくつもあるようです。
例えば、14代仲哀天皇の后である神功(じんぐう)皇后、垂仁天皇の娘の倭姫(やまとひめ)、崇神天皇の大叔母である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)などです。

 

現在は、倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼という説が有力

そうした中で現在では、お墓に関する記述や時代が一致している、倭迹迹日百襲姫命が、実は卑弥呼だったのだろう……という結論に落ち着いているようです。
ちなみにこの姫様に関する文献は、日本書紀以外には見つかっていないようです。

この卑弥呼とされる、倭迹迹日百襲姫命の墓は、奈良県桜井市にある箸墓古墳です。
私自身も一度行きましたが、美しい外観の癒される古墳でした。
桜井市のマスコットキャラクターは、可愛らしい「ひみこちゃん」。桜井市も、倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼だったと認めているのですね。

卑弥呼

日本書紀のこの百襲姫に関する記述に、「たいへん聡明であって知恵も深く、未来のことを予言することができた」と記載されています。
また百襲姫は、オオモノヌシノカミという神様の妻となったとのこと。しかし、美しい小蛇に変身した夫を見て驚き、急にしゃがみ込んだ瞬間に箸で陰部を突き、亡くなったとされています。
そのためお墓には、「箸墓古墳」という名がついたのだそうです。

 

『魏志倭人伝』に書かれている卑弥呼の姿とは

『魏志倭人伝』にわずかに残された卑弥呼に関する記述の中には、以下のような内容があります。

「一女子を立てて王となす。名づけて卑彌呼という。
鬼道(きどう)につかえよく衆を惑わす。年すでに長大たるも夫婿(ふせい)無し。
男弟あり、たすけて国を治す。王となりてより以来、見ることある者少なし。
待女千人を以て自らはべらしむ。
ただ男子一人有り、飲食を給し、辞を伝え、居処に出入りす。
宮室・楼観は城柵もて厳かに設け、常に人有り、兵を持ちて守衛す。」

ここから分かるのは、卑弥呼は鬼道という占いを行い、人々にその結果を伝えていたということ。
そして書かれた時点では、未婚のまま既に年を取っており、弟に助けてもらいながら国を治めていたということ。
王になってからは、柵が立てられ守衛がいる宮室からほとんど出ることはなく、その姿を見た者は少なかったということです。

卑弥呼

古代中国とも交流がある邪馬台国の女王というと、パワフルでアクティブなイメージがありますね。
しかし、実は年老いていてほとんど人と会わずに引きこもり、部屋で占いを行っている女性だった……ということになります。
そうなると、かなり印象が変わってくるのではないでしょうか。

残念ながら資料が少なすぎるため、これ以上に卑弥呼のことを解明していくことは難しい状況でしょう。
しかし、神秘のベールをかぶっているからこそ、「卑弥呼」という名は人々の心を惹きつけ続けるのです。

 

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