デューク更家「お金持ちになれたのは龍のおかげ」 Part1. カラダの器が整っていて、お金の中に感情は入れないのがコツ

日本人で一人だけのモナコヨットクラブの会員。背筋が伸びていて、圧倒的オーラがありつつもフランクなデュークさんの「龍とお金持ち」の関係とは?

あのウォーキングは実は龍の姿!?
モナコ、東京、ロンドンに家があって、次は、半島を買う予定というデューク更家さん。

カードの1日の使用利用限度額はなんと5000万円というチタンカードを持っていて、モナコヨットクラブの会員。
しかも世界で100人しかいない特別会員になれたのは日本人ではデュークさんただ1人だという。
過酷な環境で育ったにもかかわらず、世界のモナコで暮らすデューク更家さんは幼いころから実は龍と友達だったという。

編集部(以下編):最新刊『お金持ちになれたのは龍のおかげ』(宝島社)を読ませていただいて、まず大変なお金持ちでいらっしゃることに驚きました。

デューク(以下デ):そうですね。ヨットクラブも日本人で入っているのは僕だけですね。なかなか入れないですから。

編:実際は幼少期からずっと過酷な経験をされていらっしゃるなぁと思って。普通であれば、そこまで成功できる確率は低いんじゃないかと思うんです。本に書かれているように、お子様の頃からスピリチュアルな才能がおありだったとしても、その才能に潰されちゃう人もいると思うんですよね。それなのに、どうしてこれほど成功されたのかというところから、お話を伺いたいと思います。

デ:家の中にはトイレもお風呂もない長屋に生まれて、お姉ちゃん3人と親父とお袋と一家6人で四畳ぐらいのところに住んでいました。僕は屋根にはしごをかけて、屋根裏部屋で過ごしていました。トタン屋根だったので、雨が降るとバシャバシャとものすごい大きな音がしたんです。親父とお袋はお金のことでしょっちゅう喧嘩していて、その声が聞こえてくるし、いい環境とは言えませんでしたね。

そんな劣悪な住居でしたが、大好きなおかあちゃんは気持ちがめちゃくちゃ明るい人で「男は祭りやぞ」「メソメソするな」と言われて育ったんです。いまだに愛してやまないおかあちゃんです。
あるとき親父と喧嘩して、おかあちゃんが「海に散歩しに行こう」って言い出したことがありました。おかあちゃんは子どもたちに「服に石を詰めよう」と言って、石を詰めたんです。そしてみんなで手を繋いで海にジャポンと入っていった。波がザブンとかかって僕がギャーって泣いたら、おかあちゃんが「よし、これで終わり。今日から元気にいくよ。おかあちゃん、死んだ気になって頑張るからお前たちも仲良くせい」と言って海からあがって……。そんなこともありましたね。

僕は、小学生の頃からスピリチュアルな感性があってね。
たとえば、うちは散髪屋をしてたんだけど、お父ちゃのところに女の人が訪ねてきたら、仲良い人がわかってね。「おかあちゃん、あの女の人とお父ちゃんは仲がいいよ」なんて言ったら、えらい怒られましたね。

でも一番怒られたのは、僕が「あの人はもう寿命がないよ。一か月以内に死ぬよ」と言ってしまって、そのときは本当におかあちゃんにめちゃくちゃ怒られました。ただよかったのは、その時におかあちゃんに怒られたから、僕のスピリチュアルな感性はおかあちゃんによって封印されたんですね。

強烈に印象に残っていることもあります。ある日、自宅近くの海に女性の死体が流れてきた時があったんですよ。その女性を浜まで運んであげようとして何人かで運んでいるときに、顔を見たらその女性がぱっと目を開けて僕の方を見て、目が合ってしまった。頭の中でものすごい大きな音がして、自分の頭の中の線が切れたのがわかった。

穴口(以下穴):本にも書いてありましたが、あのバチンって大きな音がしたときの出来事ですか?

デ:そうです。あれは開眼された時なんやね。開眼された後に、おかあちゃんにこんなふうに言われたんです。
「お前は人と違うんや。世の中の人から見たら、ちょっと違うものを持っているんや。それは、世の中の人に言うたらあかん。お前の中にしまっておいて、言う時はおかあちゃんにだけや。おかあちゃん以外には、人のことをとやかく言ってはダメ」と。

それで、僕はスピリチュアルの感性を封印したんです。10歳くらいのことだから、もし、あのままでいたら、周囲から頭のおかしい人と思われていたかもしれません。それで、僕は目に見えないことを、おかあちゃん以外の人には言わなくなった。

僕は、そんな子どもだったから友達はいなかった。同級生と遊んでも面白くなかったし、ソフトボールやサッカーをすることはあっても、一緒にどこかへ遊びにいくということはなくてね。
そんな僕にとって、小学校・中学校時代の住処は、神社とお寺。

編:神社が住処?

デ:そう。昔の神社だから、縁の下があって、子どもだからそこに入って遊んでいました。賽銭箱には、子どもの手が入るくらいの隙間があって、中からお金を取ってアイスクリームやらお菓子やらを買っていたんです。それを知ってて、おかあちゃんは「賽銭箱からお金を取ったら報告しなさい」と言っていました。「今日、賽銭箱から100円を取ったよ」と報告すると、それをきいたおかあちゃんは、賽銭箱にお金を入れて手を合わせてくれていたんです。だから僕は、おかあちゃんから無心しなくてもよかった。「人のものは取ったらあかんのやよ」「神社のお金はおかあちゃんが入れてあげるから」と言ってくれていましたね。

 

質素な食事が作り上げた健康な体
何が功を奏すのか、後になってわかったこと

(デ)僕はお金がなかったからね。学校から家に帰ってきたら、神社とかお寺で遊んでいた。
やっぱりお金持ちになったのが一番は龍のおかげと、もう一つはね、ガタイがいいこと。なにがあっても崩れへんかったこと。
それは小学校の時に地引網を引いて手伝っていたことと、あともう一つは食生活が毎日、茶粥と丸干し・さんまの開き・アジの開きだったこと。
貧乏だったから365日そればっかり食べていたんです。正月の時は、もちが入ってうれしい。それで、夏にはとうもろこしが入ってうれしい。お粥さんはよく膨らむからね。僕が小・中学校の時には、1日5杯くらいどんぶり飯を食べていた。それで、このガタイができたの。商売に失敗しても、朝昼晩働いても体が崩れなかったのは、この体が強かったから。この体が病気になっていたら、今のようにはなれなかったと思うし、モナコに家も買えなかった。あとになって、体がすごく大事だと思ったね。

それと、おかあちゃんの元気さとええかげんさ。家は超貧乏だったんだけどね。おかあちゃんのお兄ちゃんたちは材木商だったからお金持ちだった。親父は「1日に3人お客が来たら幕を引け」と、それだけしか散髪屋の仕事をしなかった。あとは、趣味のことばっかりやって過ごしていた。
ところがおかあちゃんは、親父がそんなんやから、お兄ちゃんたちからときどきお金を送ってもらっていたわけ。そのお金で自分だけ着物を買ったりしていてね。

一同爆笑