「綿毛に包まれて生きていく」~Vol.2 死後の魂とのコミュニケーション

魂は永遠であり、人間としては亡くなっていても存在するのです。そして、遺族にとってはそれが一番の心の支えで、残りの人生を生き抜くには重要なものだと考えます。

大切な人に先立たれた時

経験の無い方も、1度は考えたことがありますね。いずれ必ず死はやっています。別れを体験せず自身が旅立ってしまう事もあるでしょう。

でも長く生きていれば必ず大切な誰かの死に立ち会います。未経験でも映画やドラマなどで疑似体験をし、悲しみに涙する事でしょう。確かに悲しい事で、喪失感はありますが、実体験となると想像とは全く異なる事なんです。

単純ではない感情に自信でも抵抗できない衝動と苦しみと痛みに、後になっても記憶が落ちるところは多分にあります。先ずは信じられない気持ちから入ります。言葉も無く茫然とします。今にも動き出し、ジョークと言ってくれると信じようとします。

しかし。これが近親者の場合は、その死を実感する事も無く、葬儀の手配や病院の処置の確認や支払いなど、また、自宅で亡くなると警察の取り調べなど次々と処理に追われます。遺族自身が半狂乱であってもです。病が長引きある程度の予測と情報を集めている時間があれば、まだスムーズでしょう。しかし突然の死は、悲嘆と同時に諸手続きなどが起きて、大変なパニックになります。

そして、お通夜から火葬までもただ慌ただしく過ぎています。この間も悲嘆や痛みはあります。同時に生き返るという希望を捨てない気持ちもです。この初期のショック状態は、信じられないという気持ちと自分の今後の生活への不安と、愛するが故の喪失感と悲嘆、追いかけたいという自殺願望、置いていかれたという怒りなど本当に入り混じっていて、瞬時に感情も移り変わります。

パニックという言葉しか表現が無い事が残念に思うほど複雑なのです。

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パニックが落ち着いて、少しは考える事が出来る様になると、人の好意による言葉であっても傷つく段階に入ります。とてもデリケートになっており、人の気持ちを汲み取る余裕など全くない為に、全ての言葉がストレートに入ってきます。

故人の為に頑張りなさいとか故人の為に泣くのは良くないとかから始まり、お決まりのお悔やみの言葉に傷つく事が多いのです。何故なら、そんな簡単ではない感情が渦巻いているからです。

そして深い愛情があればあるほど、悲しみは深いのです。故人を失っただけでなく、生活を失うかもしれない恐怖や、未来を失ったと感じたり、生きる支えや人生の意味を見失ったりと遺族が失ったものは多いのです。

遺族と見守る人の問題点などは、また別途書きますので先に進めます。パニックが終わり、身近な人に対しての怒りや不満を感じたり、自分を責めたり、恋しくて淋しい気持ちや、思い出や故人の使ったものを見るだけでも大声で無く崩れたりと他者からみればメンタルの重症な病に感じる程の行動や言動が増えます。

これはどうにもならないのです。時薬と言いますが、私はそれにさえ疑問があります。この苦しみは消えません。変容はしますが痛みは消えないのです。

何かも失った……死にたいと思う人も多いのです。

その人たちが望むのはただ一つ。あの人に会いたい。ただそれだけに尽きるのです。