「正しくても優しくない選択」
娘の小葉(このは)のスクリーンタイム、「妖怪ウォッチ」熱が加速しています。
1日中、アニメ「妖怪ウォッチ」を観て過ごすこともよくあります。
親としても、それがいいのか悪いのか、分からなくなります。
お風呂場でも観る始末。
先日、つい、そのことで怒ってしまった僕です。
久しぶりに僕の言葉で泣く彼女の姿を見ました。
僕の怒ったことへの(親としての)正当化は以下、
「(あなたの)洗髪するパパを待たせている」
「何話も観て良いとは言っていない」
「次の話に進みたいなら、一言申し出てほしい」
などなど。
かぶせて、「間違ったこと言ってる? パパ。」と言いたいところ。
間違ったことは言っていないし、彼女の「妖怪ウォッチ」熱にも釘を刺すいい機会だったと思っても、釘を刺す意味も分からないし、何のために誰のための言葉だったのかも考えながら、ひと晩、ぐっすりと眠りました。
天使に「優しい選択」をお願いしながら……。
「正しくありたいか、優しくありたいか?」
そして、次の朝、娘に謝りました。
「昨日はお風呂場で怒ってごめんなさい。言い方が強かったし、もっと工夫して言う方が優しかったと思う。本当にごめんなさい。」
正しくても、道理にかなっていても、相手への伝え方は、それ以上に優しいほうがいいと娘とのやりとりでいつも思います。
つまり、親は、(親としての)正当性を言い訳に怒ったり、叱ったりする必要はなく、相手のために、自分のために工夫をするということですね。
当然、娘の謝罪は要求しません。
昔、僕が子どもの頃、親に「謝りなさい!」って言われるのが本当に嫌でした。
お互いさまだと思っていたし、親の立場から言うのは卑怯だと思っていましたから。
きっと言葉ではない「親の行い」が、いつか彼女がそのような場面に出くわした時に、彼女が考えるヒントになるでしょうから。
おかげで上機嫌になった娘は、すっかり元気にママと出かけて行きました。
アクセスコンシャスネス創始者のギャリーダグラスが、
「子どもより人生経験の長い親のほうが賢くなりましょう。」
と話していましたが、それにはちょっとした勇気が必要だと感じます。
「キレるより、工夫を」
この言葉、繰り返し、自分に言い聞かせています。
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