Temple Of New Dawn 五次元へのポータルを開く〜Amalin Story #6

Opening the portal of 5th Dimension

 

五次元ポータルへの基本の基
Basic of 5th dimension

Aloneness―All-one-ness―ひとりで在れる人は人を傷つけることはないでしょうし、戦争などの争いに価値を見出さないでしょう。一人でも生きることができる人だけが『マチュアな成人』だといえます。そして寂しくないのは、宇宙全体と一つにつながっていると知っているからです。

すると、Togetherness―To-gether-ness―他の人と自然に一緒にいられることが起こります。そういう人は Interdependance―Inter-dependance―相互依存・共存共栄できる人です。争いのない思いやりのある付き合い方があります。いじめなどは存在できません。

そして、Responsibility―Response-ability―責任の本来の意味ですが、人生の中で起こったものごと(善悪の判断をせず)に対応(レスポンス)できる(アビリティー)人ー本当の意味での自己責任をとって生きている人。自己が愛・気づき・至福などの質で満ち溢れていなければ、他者や社会へ向けての責任を取ることや他者を助けることは不可能です。まずは自己の幸福の土台を安定するために、自己の行動に責任をとります。そういう人は、家族や夫やパートナーや仕事に対して仕方なく動くという相手中心な責任をとるのではなく、自分がそうしたいからするという、すっきりとした自己への責任感で動きます。自己の人生が幸せであるための責任をとるのです。

そういう人が大半以上に増えれば、世界全体が五次元へと移行します。

しかし、世界全体が移行せずとも、個人のレベルで五次元を生きることは『今ここ』で可能です!

 

木々が光合成の中で二酸化炭素を吸収し酸素を排出して、人類はその排出された酸素を吸収し二酸化炭素を排出します。その二酸化炭素を木々が食べてくれ、酸素に変容して吐き出し……が継続され、ここには循環があり、動物界と植物界の間に見事に美しい相互依存・共存共栄があります。

しかし実際に世界で起こっていることは未だに、人類にとって欠くことのできない本質的な価値のある木々をどんどん切ってしまい、本質的な価値のない紙切れ(これも木で作られている)であるお金のために、工場からも車からもどんどん二酸化炭素を吐き出し続け、ゆえに高度に酸欠でストレス化し、病気を作り出している人類の行動は、あまりに幼稚で無謀です。

ここには上記の意味での責任―Response-abilityはありません。

このような矛盾に満ち溢れた三次元的な社会構造は五次元以上の社会にはありえないです。需要と供給のバランスが絶妙にとれているのが意識的で愛に満ちたマチュアな五次元以上の社会です。

では、今の私たちは、こういう地上的で住み辛い三次元に住んでいながらにして、どのようにしたらこのようにまるで天国のような五次元感覚を『今ここ』で生きることができるのでしょうか?

 

鍵は瞑想的な意識を持った人に手渡され、五次元は今ここにすでに存在している!
5th dimension is existing only Now-here and the key is given to people with awareness!

ここではっきり言えることは、五次元のポータルは私たち全員の内側に存在している!という事実です。では、なぜ、私はそこにいけないのか?という問いが即座に聞こえてきます。

なぜならば、ほとんどの私たちは『今ここ』に存在できていないからです!

では、私たちはどこに存在しているのか?

今ここに身体はいながらマインド(思考・頭)はあっちこっちにいっています。昨日の失敗について悔やんでいたり、明日のできごとについて悩んでいたり、いつ結婚相手に出会えるのか?、もっといい仕事があるはず?、どうやったらもっとお金ができるのか?、私の人生は最低で真っ暗闇、隣りの芝生が羨ましい……と、ずっと『今ここ』にはない何かについて考えあぐねています。

まるでテレビドラマとコマーシャルが始終流れているような、とてもノイジーな状態です。

つまり、思考が常に過去か未来に飛んでいて、今ここにいない夢遊病患者みたいな人々で現代社会は満ち溢れています。

その夢遊病者的な生き方から抜け出て、プレゼントなこの瞬間に、『今ここ』に全身全霊でいることができれば、それだけで五次元に生きているのと同じことだといえます。悪夢や悪夢的な状況は起こらなくなります。タガが緩んで、シリアスじゃなく、いつも笑みが浮かんでいる。

 

ここで、別の質問が起こります。では、どうすれば、いつもそのプレゼンス(今ここにいる)にいることができるのか?です。

ここでの鍵が『瞑想性―マインドフルネス』『気づき』『愛(自己愛)』などのすべての人に内在する純粋なエッセンスにあると言えます。

瞑想的に生きていれば、私たちは意識的に『今ここ』にいるように努力します。自己は愛だという理解も『今ここ』にいなければ起こりえません。

そのうちに努力のない努力―Efortless effort―が起こります。努力すら必要なくなる時がきて、ずっと『今ここ』に安定していられるのです。自由で気楽で楽しい生き方です。