また、気の長い人の側らには、のんびりするような気質をその人の良い部分として認めてくれる人、セッカチな人、それがマイナスにならないようにサポートする人がいたりします。
ここで、セッカチな人は、その姿を自分に見せてくれていますので、自分がなんらかの影響を受けて変わるようなきっかけとなってくれます。
その人たちはすべて、自分と同じグループソウルに属する大切なソウルメイトで、私たち一人ひとりが順調に光に向かうために、それぞれが、さまざまな“役割”を演じています。
気が長かったり、気が短かったり、それは人間のほんの一面ですけれども、そんなちょっとしたことから、痛い思いをしたり、人を傷つけたり、愛を与えるきっかけとなったりしていきます。
どれも大切な経験なのですねぇ。
“セッカチ”と“気が短い”の違いとは?
ところで、気が短い、に似ている言葉に、さきほども触れた“セッカチ”という言葉がありますけれども、これは似ているのですけれどもちょっと違うのですねぇ。
“気が短い人”というのは、心の中に“こうでなくちゃいけない”というような“心のものさし(価値観)を強く持っている場合が多くあります。
この“心のものさし”をどう扱うかが、その人の人生の学びの中で大事なところになってきます。
例えば、この“心のものさし”が自分や誰かを縛ってしまうこともありますね。
そうしますと、自分にとっても、その誰かにとってもあまり良いことにはなりません。
そこでこの方が学ぶのは、“許す”ということであったりします。
許すことの先にあるものは、“思いやり”、これをこの世では“愛”と読み替えることができます。
人を許すだけではなくて、その価値観を持っている自分も認めた上で許していきます。
これはとても大きな魂の学びになっていきますね。
そうそう、“セッカチ”については、この“心のものさし”は直で関係してきません。(笑)
自分の中に“これ”という想いがなくても、セッカチになります。
そのとき、外から見ますと、ただバタバタしているようにも見えます。(笑)
セッカチな方には、“心のものさし”が必ずしも作用しませんので、人や自分を許さない、という想いではなく、自分の速度に合わない場合には、「私がひとりでやるからいいわ、あなたそこにいればいいから」となります。
つまり、「あーもー、待ってられない! 私がやるっ!」ですね。(笑)
この場合の学びは、「落ち着いて見て、丁寧に目の前のことをやると、もっといいことが起きますよ」ということですね。
一見、似ているようでいて、気が短い場合とセッカチさんは、ちょっと学びが違いますねぇ。
大きな違いは、“許す”ことが学びとなっているかどうか。
つまり、“許さない”とか“許せない”という想いがあるかどうか、だと私は思っています。
今回は、気が長い、気が短いという、人の性分、一部の“性質”ではありますが、そこにある“学び”はみんな違っていて、そして周りにはそれをサポートするソウルメイトたちがいてくれるのです、というお話でした。
これは、良い、悪いということではないのです。
私たちがこの世で経験して、学ぶ、先日の記事でもお伝えしましたけれども、そのすべてが私たちの魂を磨いて育てます。
丁寧に、丁寧に。
そして楽しく経験していきましょうか。
今日も最後までご覧くださり、ありがとうございます。
では、また……!
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