誰の声に耳を傾けるのか
前回の記事で、「自分の中にひそむ可能性」を苦労せずに見つける方法として、「自分」をまるごと使っていただく人生を歩むと決めれば必ず答えがもたらされる、というようなことを述べました。自己実現のための、発揮されるべきその可能性は、“ゆだねる”ことによって見出されるのだと。
ここでの“ゆだねる”とは、自我(エゴ)による計画を立てず、人生の舵取りを天に(ハイヤーセルフに)預けることであり、直感に基づいて行動することを言っています。
「自分」で決めるのではなく、高次のスピリット、高次の自己(ハイヤーセルフ)に判断を任せると決めたなら、道筋は明確な“サイン”――ビジョン、声、体感、ひらめきなど人によって受け取り方はさまざまありますが、何かしらの“しるし”によって必ず示されます。
光で示された道をただ歩くだけです。それにどのような意味があり、なぜそうすべきなのかということは、一切考える必要がありません。それが“答え”であるから。それがわたしたちにとっての、真に最善なことだから。それだけです。
「自己実現」へのルートは無数にあるように思えますが、二つに分けることができます――というより二種類しかありません。「利己的自己実現」と、「利他的自己実現」の二つです。
怖れに基づいた、いい格好をしたいだけの、脆いと思っている自分を守るための、勝たなければいけないのだ、生き遅れてはならないのだとする信念を支えるための「利己的自己実現」、言うなれば「自我実現」。
これは、「欠如」の思考が根底にあり、欠落した自分をどうにか満たそうとする、自分勝手な生き方です。
以前わたし自身、これをやっていたことを【PART.7の記事】で述べました。この「利己的自己実現」の手法には種類が豊富です。さまざまな説とノウハウがある(ように見える)し、一見とても魅力的で、「これこそ人生を変えてくれるだろう」と思わせるものを持っています。
目標を決め、計画を立て――それも「逆算」するのがコツで――、手帳にはToDoリストを作り、完了・未完了を明確にしていく――。あきらめなければ夢は叶う、失敗は成功のもと云々。
誰の声を聞いてこれをするのでしょう。
【PART.10の記事】で「自分軸」に潜む罠ついて述べましたが、「自分」を軸に意思決定し行動するのなら、それは「自我(エゴ)軸」なのです。
エゴの声に――「頑張らなければ評価されない、努力してこそ人は価値を認められる」といったくだらない考えに――耳を傾けて頑張っても、承認欲求に終わりはなく、絶えず人からの目線や評価を気にして、「いい人間」、「成功者」を目指しては落ち込み、落ち込んではまたやる気を出すというサイクルから逃れられることがありません。
ノウハウそのものが悪いわけではありませんし、それを人生に使ってみることが間違っているわけでもありません。もしそれを活用してみるようにとハイヤーセルフが言ったなら、それをただ行えばいいだけです。その方法を用いること、それを通して交わされるコミュニケーションに何かしらギフトがあるから、そこへ導かれるのです。
声は自分の選んだ場所から
自分が思ったことが、直感によるもの(ハイヤーセルフの声からきたもの)なのか、エゴによるものなのか、どうすればわかりますかとよく聞かれます。正しく聞き取っていたいという思いがあるからこそ湧いてくる疑問なのでしょう。
声の主の違いは、あなたのハートでわかります。焦りや不安から発せられるもの、損得勘定、競争心、否定的な見方によるものはエゴの声です。腹が立ってしたこと、はやる気持ちで行ったことなどは、その奥底を見れば明らかですが、「怖れ」からきています。
直感によるものなら、ニュートラルであるか、心地よい感覚、意外性や納得といったものがあり、それに従って行動すればスムーズに事が運んでいきます。最終的には、ぱっと心にやってきたものを行動に移すかどうかをあなたの心の感覚で決めて、やってみるしかありません。
直感かエゴか。「間違ってしまったらどうしよう」という考えは、「間違いたくない」、「失敗したくない」、「痛い思いはごめんだ」、「間違うことは悪いことだ」といった思考に置き換えられます。なぜ失敗したくないのかと言えば、恥をかきたくないから、あるいは損をしたくないからかもしれません。
恥をかかないように、損をしないように、傷つかないようにと、「自分」を守ることを優先するのは、言わずもがな、エゴの思考にほかなりません。
エゴの声ではなく、内なる声をこそ聞きたいのだと心から願うならば、必ず“答え”はやってきます。受け取り損ねることも、聞き間違えることもありません。やってきているのに抵抗しているときにだけ、受け取り損ねたふりをし、聞き間違えたふりをして、「怖れ」に基づいた思考を選択し、その考えが反映された行動をとるのです。
内なる声かエゴの声か、どちらに耳を傾けているのかは、自分自身の意志が「愛」か「怖れ」かのどちらにフォーカスしたものであるか、毎日、瞬間ごとにどちらを選択しているかではっきりとわかると言えるでしょう。
気がついたときには、いつでも自分の心がどちらに在るのか、どちらを選択しているのかをその都度確認し、真に願っているほうを選択するという習慣を持っていたいものです。
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