あなたの意見を押しつけていませんか?人生のマラソンコースは人それぞれ

自分で経験してみなければわからない

あなたの周りに悩んでいる人がいて、その人から相談を持ち込まれたととき、あなたは自分の意見を伝えて相手を励ますことが出来ます。しかしそのときに、あなたの意見が正しいからと言って、相手があなたの意見に従うことを期待してはいけません。その人は未知の経験をしておらず、自分自身が体験しないと、それはただの情報でしかないからです。

例えば、あなたがバリ島に行こうと計画を立てているとします。そしてバリ島を訪れたことのある友人とばったり会い、どんな感じが尋ねて、「まぁ、それほど魅力を感じる場所ではなかった……」と言われたときに、「じゃあ行かなくてもいいか」と安易に同意することはできないでしょう。

すでに行きたいモードになっている場合は、「友人の言葉=情報の域」でしかありません。行くのがあなたならば、見る物、食べる物もその友人とは変わって来るはずです。もちろん、危険なところに行くときには、自己責任で行くことになるでしょう。

若いときは困難から立ち直るのも早い

私たちは、人生という名のマラソンコースを走り続けています。誰でも、距離的には同じであっても、景色や周りにいる人は変化して行きます。変化しないで同じ環境に居続ける方が、実のところ、楽でしょう。しかしぬるま湯の生活が続けば、いつか衝撃的なことが起きたときに、立ち直るにも時間が掛かります。例えば、身内の死、自分自身が大病の宣告を受ける、終わりのなき介護生活、配偶者の突然のリストラや転職……可能性はたくさんあります。常に同じ生活を続けることが出来るのは、ある意味奇跡なのです。

しかし、若いときに訪れる困難な出来事は、体力や精神力が備わっていることが多いので、逆境から立ち直るのにも時間が掛かりません。先人の諺に「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があります。意味は「若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ」。

他人の問題を引き受けすぎてはいけない

自分の子供が危ない道を通ろうとしているときに、多くの親は「そっちの道には行かない方が良い」とアドバイスします。苦労するのが分かっていて、その道に行かせる親はいないでしょう。

しかし、他の人の問題を自分の問題として引き受けてはいけません。その人が安全な方向へ進むように、繰り返し言ったとしても、その人が気づかない限りあなたの親切は逆効果になることもあるのです。親切心が仇になってしまうこともあるでしょうし、かえってその人の自由意思、貴重な経験を奪ってしまうことにもなります。

そして、人の問題を受け取り過ぎて、新しいカルマをあなた自身がつくってしまうことになりかねません。せっかく、古いカルマを解消するために今の人生を生きているのですから、わざわざ、新しいカルマをつくらない方が良いでしょう。

誰もが、自分の課題をクリアするために生まれてきた

ある一定の人を除けば、あなたは「誰かの問題を解決したり、誰かを変えるため」に今の人生を生きているのではありません。各々が決めて来た目的を果たすために、それが遠回りでも、近道でも、どの道を通るかはその人の自由意思なのです。

ですから、間違った道を通っているからと言って、あなたが意見を言ったとしてもお互いが不愉快に思うことだってあるでしょうから、その時間とエネルギーをもっと自分自身に使って下さい。

あなたが相手に出来ることは、あなたの意見を告げ、相手を励ますことまでです。
その後はあなた自身の人生の課題を果たして行って下さい。
ありがとうございます。