エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.30~内なる暴力性に卒倒寸前パパ(潤治編)

滴

愛しているはずの娘に認めたくない感情……

子育てを通じて、自分が成長していく必要を感じる日々です。
自分のやりたいことややらなくてはならないことよりも赤ちゃんの睡眠、排泄、食事、そして機嫌を優先させることが夫婦ふたりでいる時よりも増えました。

その分、家族による相乗効果も大きくなりましたし、感謝することはとても多いのですが、同時にその感謝するセンスが未熟な自分も見させられます。

昨年の夏、娘の小葉(このは)が生後3ヶ月の頃のことです。

暑さによる不快感、上手に眠ることが出来ずに、愚図る機会が若干増えた時がありました。彼女を最優先にする生活は生後から続いており、第一子ということもあり、力の配分や役割分担をはき違え、勝手に疲れて、僕は睡眠不足になりました。

40歳を越えた肉体に睡眠不足はとても辛く、心のゆとりが少なくなっていきました。
圧倒的な睡眠不足は妻の寛子のほうで、僕は火の粉がかかる程度なのですが……。

3日間ほど続いた暑さ愚図りに、僕は精神的にも肉体的にも疲労困憊になりました。
(火の粉がかかる程度なのに……)

愛しているはずの娘の愚図りに、認めたくない感情が生まれてくるのを感じました。

暴力性です。

我が子を虐待してしまう母親の話を程度はともあれ、耳にすることはありますが、僕の中にもその種はあり、環境など条件が揃えば、いとも簡単に発芽してしまうのだ……とあらためて感じました。

子育てが孤立無援で、終わりのない、出口のない迷路のように思えたら、内なる暴力性は発芽し、虐待という行動に及ぶ可能性が僕の中にあるということです。

「パパの癒されていない感情を理解したいんだよ」

虐待についてのご相談もスピリチュアルな視点や過去生などの視点、トラウマとの関係などから紐解くことがあります。

娘のおかげで、より自分事としても理解することができ、虐待してしまう気持ちと愛したい気持ちの狭間で苦悩する親御さんの気持ちを感じています。

自らの葛藤に苦しみ、上手に我が子を愛することができない親御さんの思い、それは同時に僕の両親の思いかもしれないと気づきました。

時間差はだいぶありますが、両親の葛藤しながらの愛は僕の心に届きました。

上手に愛そうとして愛せなかった両親の思いでしょうか

僕の中に芽生えてしまう「暴力性」に関して、娘を抱っこしている寛子と共有する時がありました。
寛子に抱かれ、すこし眠たい愚図りをしている彼女でした。

「あのね、このはのことをとても大事にしたいという気持ちもたくさんあるんだけど、たまに信じられないほど、暴力的なことを考えてしまう自分もいて、そんな自分が怖くなって、逃げ出したくなるんだ。」

「うん、そうだね。」と寛子。

「そんなこと感じている父親で良いんだろうか?とか、そんな父親の感情をこのはが受け取って悪い影響はないか?とか、胸が張り裂けそうになるの。」

……と、寛子が共感して聴いてくれていたら、このはが急に愚図るのを止めて僕のほうを見つめて声を出しました。

「うぅーん。」

先ほどまで、赤ちゃんだったこのはが、年上のお姉さんのように目に涙を浮かべて、しきりに僕のほうを向いて慰めてくれるのでした。

赤ちゃんの手

「パパ、正直に話してくれてありがとう。
パパの癒されていない感情を理解したいんだよ。」
(……と言っているかのよう)

……癒されていない感情。

人にセラピーを施す場をいただくようになって十数年、自分に癒されていない感情があることを否定したい自分もいます。
その段階はあるでしょうが、さまざまな出来事を経験する度に、その感情に気づかされます。

そして、その感情は寛子というパートナーのおかげでいっそうあぶり出されます。
自由で無条件に受容されて育った寛子の姿が、僕のありのままの姿を映し出してくれます。
彼女は僕と同じような暴力性はなく、ですので、いっそう僕のその部分が際立ってしまいます。

もし、僕と同じようにこの部分に関して癒されていない感情を持っているパートナーだったら、僕はその相手を責めたり、批判したり、攻撃することで責任転嫁ができたのかもしれません。
しかしながら、寛子を通して、映し出される僕の姿はただただ未熟な自分です。

未熟な自分を受け容れ、その自分を偽らずに正直にパートナーと共有することで、癒されていない感情を癒し、慰め……、いつの日か無条件の受容ができるように研鑽していきたいと感じます。

自分の未熟さを思いながら、いろいろな痛み、悲しみ、喜び、愛しさなどのさまざまな感情を味わえる豊かさを思います。

そして、寛子と共有した日、何か視線を感じるので振り向くとこのはがじっと見つめてくれていて、目が合うとニコっと笑うのでした。

君は僕を救いに来てくれたんだね。」
と僕は心が満たされていくのを感じるのでした。