「モテたい」と思って何がダメ?
人生を幸せにする『モテ論』とは?
モテたいと思った事はありますか。僕はあります。おそらく口では「モテなくたっていいよ。別に困らないし」と言っている人がいたとしても内心はモテたいはずです。
「モテたいと思うことははしたない」……そんなふうに思う必要はありません。
突然、こんなことを言うと「TATSUMIさん。どうしちゃったんだろう? 方向性を変えたのかな?」とか思われるかもしれません。しかし、ここでハッキリ言っておくと、僕はココロセラピストとしての方向性を変えるつもりはありませんし、調子に乗っているわけではありません。
そんなわけで、今回は『モテ論』について少しお話したいと思います。
モテる・モテないを決めるのは
潜在意識がキーワード
ところで『モテ』にもいろいろあるのですが、どんなイメージがあるでしょうか。殆どは魅力的な異性にチヤホヤされることを『モテる』と思っていると思います。もちろん、これは間違いではありません。特に思春期以降の男女は少なからず、この手の欲求が重要になってきていると思います。
これは倫理観などを一切排除してシンプルに考えれば、「子孫を残すための本能」と言えると思うのですが、せっかくなので、この『モテ』をもう少し掘り下げてみましょう。
21世紀の『モテ』はもっと濃いくらいで良い。僕はそう思っています。魅力的な異性にモテたいのは、当然だと思います。ただ他のカテゴリでも『モテる』方が良いのです。
まず、これを理解して下さい。
人間には『潜在意識』というモノがあります。そして人生は『潜在意識』にコントロールされて進んで行きます。この潜在意識に『ネガティブ・ワード』をインプットしてしまうとどうなると思いますか。潜在意識はこれを現実のモノとして実行しようと動き出してしまうのです。
「私はモテない」というセルフイメージが自動的に動き出して「モテない私ってどんな私?」と自分の『意識』と関係なく考え始めます。「掃除が出来ない私」「ファッションセンスが悪い私」「栄養バランスが悪い私」「愚痴ばかり言う私」等々、どんどん関連イメージを寄せ集めてしまうのです。そうなると、それが自己実現してしまって「何で私ってモテないのだろう?」って泣くことになるのです。そんな人生って悲しすぎますよね。
たとえば、もしあなたが学生だとして先輩・後輩に何故か嫌われていたらどうでしょう。後輩に指示をしてもスル―され、先輩にはパワハラをされ……。同級生だけにはかろうじて仲間意識があっても、それ以外では通用しない。これでは学校生活が成り立ちません。僕なら間違いなく不登校になると思います。
しかし、もしも先輩にも後輩にもモテていたらどうでしょうか。困った事があれば学年関係なく助けてくれます。あなたを応援してくれるのです。自分が何かで間違っても、単に見下されたり軽蔑されたりするのではなく、あなたの改善を心から願って見捨てずに広い心で指導してくれます。
性別も関係なくモテた方が良いです。もちろん恋愛の話ではありません。男性でも女性でもあなたに魅力を感じてくれてしたってくれたら舞い上がるほど嬉しいと思いませんか。
たとえばあなたが会社員ならどうでしょう。
先輩や重役たちがあなたを好きだったら。出世街道の道が開けると思いませんか。遣り甲斐のある仕事を任されるかもしれませんし、給料だって上がるかもしれません。部下も積極的に応援してくれたら、大きな課題も簡単に乗り越えられるかもしれません。
「でも、これって理想論じゃないですか?」「それが出来たら苦労はしませんよ!」と大量に反論がくるかもしれません。しかし、ここで考えて欲しいのです。「どうせ私はモテませんから…」と思うかもしれません。しかし、『潜在意識』にどういうふうに『モテる』のが理想的かを明確にインプットした方が、人生はプラスにはたらくのです。
そう考えると、やっぱり『モテ』たいと思うのは、きっと僕だけではないと思うのです。