2014年はしっかりと物事を考えて行動すると、良い事が起こる!

障害を抱える子供に与えられた意味

人生で起こることには、すべて意味があります。
あなたがこうして私の書いている記事をお読みになって下さることも、たまたま、偶然ということではないのです。
何か悪い事が起こり、その結果が良い方向につながると、「たまたま運が良かったのだ」と思ったりする人もいらっしゃることでしょうが、その「たまたま運が良かった」ことこそが、あなたの陰徳、恩恵なのです。
人間という者は不思議なもので、運が良くなると、すべて、自分が神様になったかのように振舞う人もいます。日々の反省も謙虚さも忘れてしまい、傲慢な態度で人を顎で使う人もいます。

神様を超えることは、私たちには無いのです。
神様に近づくように、私たちは生きています。

しかし、すべてが上手く運ぶようになると、感謝の気持ちを忘れてしまうことで、幸運の女神は「私のお陰なのに~私を無視するなら、分ったは、さようなら~バイバイ~♪」と、去って行ってしまいます。
恩恵を無視してしまい、あなたの陰徳が表に出て来たのは、決して偶然ではないのですが、良い事が続くと、自分が行って来た善行でさえも、無視してしまい、封印していた悪い習慣の紐を解いてしまい、長い間、積み上げて来た信頼感を色恋事や、お酒の入った席で、台無しにする人がいます。
コツコツと貯めた貯金を大判振る舞いで使い切るような感覚で、陰徳を重ね、その幸運を継続して行く方法を身につけた途端に、横柄な態度になる人は、徳を無駄遣いしたことになります。
陰徳は現世で使うことも出来ますし、あの世に還って、一段階上のレベルに行きたいときは、宇宙貯金として貯めることもできます。スピリチュアルを学ぶ人は、宇宙貯金として貯める人が多いようです。
でも、宇宙はしっかりと利息の配当をして下さるので、その配当だけでも、良い事が起こることで、しっかりと喜びを感じ、感謝の心を忘れなければ、良い事は持続します。徳を積むことの尊さを、重要さを無視しないことです。

見えない世界こそが、本当の世界であり、この世は自分の魂の向上のための仮の世界です。
時として、自分は悪くなくても、辛いことにぶつかることでしょう。でも、そこで、怒ったり、誰かを恨んだりしてはいけません。艱難辛苦を乗り越えてこそ、修行が進むように、神様は多くの障害を用意されているのです。試練はあって当たり前の世界が、この世です。
ハードルが高ければ高いだけ、あなたは神様に愛されている人です。
大丈夫、超えられない難題は用意して来ていませんので、自分で解決できない場合は、専門家にアドバイスを貰い、そして、1人で解決しようと思わないことです。
障害がなくなるわけではありませんが、その障害を越えることができれば、次のステップに進むことができますので、段々と、障害を乗り越える智慧を体験することで、生きるのが楽になって来ます。
だから、先人たちは、「若いときは買ってでも苦労しろ」と言ってくれています。
体力的、精神的も、若いときに何か致命的な事があったとしても、その障害を乗り越えるだけの体力があり、また、やり直すことが可能なのです。
若いときにあまりにも良い思いをすると、歳を取っても、その良い事が続くと錯覚している人がいます。障害を体験したことがないと、30代、40代で、障害が目の前に立ちはだかると、どうして良いのか分らならないように、若いときに苦労したり、辛い目にあった人ほど、その智慧や陰徳を利用して、前に進むことができます。
ゲームで言えば、アイテムにあたるでしょう。
つまり、道具です。

その道具は、お金、人、智慧、美貌、鍛えられた肉体、才能、人徳……。を使うことで、障害をクリアーできます。その道具を使うとき、もうひとつ、忘れていけないのが、勇気と、直感です。
いつ、使えば、有効なのか、判断力も道具のひとつと言えるでしょう。
避けては通れない道だからこそ、どの道を通るのか、その道を通るときにどうすれば良いのか、良い判断、決断こそが、あなたの人生を左右してくれることになります。
ふと、過去を振り返ってみて下さい。
「あ!これかな?」と気づくことが、できれば、自ずと道は開かれていますので、その道を通ることで、物質的にも改善して行くことになるでしょう。
『難事良きこと!』
すべてに意味があるわけですから、「あのときにあぁなって、むしろよかった」と思うことも含めて、研鑽し続けて行きましょう。
ありがとうございます。